20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:大前田栄五郎の脇差 作者:じゅんしろう

第3回   3
     U
 「うわっ」文八は血だらけの悲壮な顔で栄五郎を睨み付けるとそのまま息絶えた。だが、今度は栄五郎が代わって斬られ、文八を睨み付けて息絶えたのである。
 そこで目が覚めた。肌はぐっしょりと汗でまみれていた。栄五郎はしばらくの間、荒い息を吐き続けていた。ようやく肌を拭うと、水瓶の水を何杯も飲み人息をついた。
 文八を殺したが、栄五郎が逆に殺されてもおかしくはなかったのである。
 「これで何度目だろう…」 近頃同じ夢を見ていた。人には話さぬが、胸の中にどんよりと織が溜まり、段々と深く大きくなっていったが、如何とすることもできなかった。
 若気の至りというには余りにも代価が大きすぎ、これが生涯栄五郎を苦しめた。酬いが自身だけに済めばよいが、身内にまで及んだ。渡世の苦労を身に染みていたころ風の噂に、四つ下の妹なをが年頃になっても縁がないのにも、自分のせいと酷く悔やんだ。後に栄五郎は、自ら婿取りに尽力し、苗ヶ島村出身でなをより二歳年下の長岡万蔵を娶せている。栄五郎の家は百姓であるが代々名主を務めていた。父、久五郎の代になって博打打ちになり、その次男として生まれた。父が死んだとき跡目を七つ上の兄要吉が継いでいる。胆力があり計算にも強く、広範囲な勢力を築いていた。だが、惜しむらくは幼少の時疱瘡で失明し、盲目であった。
栄五郎は二十二、三歳の頃、長脇差の束を鞘へ真田紐で結び付け、斬り会いをせぬ事が出来ないようにした。以前、致命傷には至らぬが、人を斬っていたのである。が、その後、丈八を斬り殺している。丈八の跡目を継いだ豊吉とは、十五年後の天保四年和解。
いつ何時、また長脇差を抜くかもしれない。未だに己の心の奥深く、その血気が残っている事を知っていた。自分はつくづく駄目な奴だと思った。そういう事もあり、後に浅草で玩具の脇差を買い求めたのだ。これを、明治七年四月二十六日八十二歳で故郷の上州の畳の上で往生を遂げるまで差していた。
 しかしながら、玩具の脇差を浅草で買い求めた時、お供をした幸松が、二口目には、「遊侠は伊達や酔狂で長脇差を差しているんじゃござんせん」と言い続けた。しかし無視続けた栄五郎に、四十三歳の時になって修行に出るといい、旅に出てしまった。
 だが、草津の金五郎というところに身を寄せていた時、事件に巻き込まれとうとう伊豆の新島に流された。翌年金五郎と島抜けをしたが、失敗し首を括ってしまったのだ。
 遊侠は長脇差で世間を渡りゆくものである、と言う幸松と栄五郎では道が違いすぎる結果である。だが、栄五郎の在りかたを評価する親分衆もいれば、幸松のように離れていく者もいた。ここは評価の分かれるところであった。ただ、出来た大親分ほど畳の上で大往生するものである。生涯一度も喧嘩をしたことが無い親分もいた。と言って、気の弱いという事では無い。気っぷの良さがあり度胸もあった。このような人物程、他の親分衆に評価され支持を得て、大きくなっていくのである。実際、亡くなるまで、玩具の脇差一本で過ごし生きてきたのだ。この事の凄いところは、誰も丸腰の栄五郎を襲わなかった事である。いかに、遊侠連中から、一目も、二目も置かれていた事が分かる。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 2667