20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:大前田栄五郎の脇差 作者:じゅんしろう

第2回   2
「 おう、お前らこのお方を誰それと承知で刃物を振り回して事を構えようとしているのかえ。大前田の栄五郎親分だぜ。よくそれで天下の渡世の道を歩いていやがるね」
 これでは喧嘩も何もあったものではない、香具師の連中は詫びを入れ、お開きになった。栄五郎と辰五郎は、親分たちの集まりである花会で顔を見知っていたのである。
 栄五郎が玩具の脇差を持つにいたった事には理由がある。若い頃、生涯に一度だけ人を斬り殺した事があった。
 文化十四年七月十四日。その頃、上州一といわれる大親分新田郡笠懸村大字久宮の文八である。三十八歳の男盛りで弱い者虐めするような親分ではなく、出来た人間であった。いわば,ちんぴらの乱暴で思い上がった無茶な喧嘩を、栄五郎の仕切る博打場仲間数人と仕掛けたのである。このとき、栄五郎二十五歳。
 栄五郎のいいところは、ここで調子に乗ることなく深く反省をしたことである。
 ちんぴらのまま一家を構えれば、単なる荒くれ、破落戸の集まりに過ぎず、小さなまま終わるか破滅するのが落ちであろう。後に、天下和合人と呼ばれる程の貫禄のある大親分にはならなかったであろう。喧嘩仲裁で男を売ったのである。手打ちのとき床に、「和合神」という掛軸を掛け、それをもじって和合人と言われた。
 その貫禄は大したもので、栄五郎がじろりと人睨みすれば、どんな悪党も縮み上がって仕舞うと言われていた。
国定忠治が赤城山に籠っていた時、自分の子分の勝蔵のために縄張りを譲ってもらうため、子分の某を一人連れ、筋を通す為そこに出向いて会いに行ったことがある。以前、忠治が人を斬り栄五郎を頼った事があった。その縁で人を介して盃を頂きたいと申し入れたが、「俺は博打打ちだ。盗人に盃はやれねえよ」と、きっぱりと断った。そのことがあっても忠治は、あっしのような者のために来ていただき、と泣いて喜んだという。それほど貫禄が違っていたのだ。後年、国定忠治は芝居で全国に知れ渡ったが、実態は違うのである。
 清水の次郎長も同様に講談で有名になったが、若い頃は斬った、張ったの生活であった。忠治と違うところは、自分に学がないことに気が付いた事である。後、明治天皇の侍従となった山岡鉄舟に可愛がられ、人間が大きく変わった。何事も懐の深い人物にならなければ大きく成れない。
栄五郎には遊侠の和合の謝礼として貰った博打の縄張りが、上州、野州、から関東一円、越後、信州、美濃、遠州、三河に掛けて二百二十四ケ所あった。これを子分三人が、てら銭を廻り集め、それだけで一年間一家の賄いが出来たという。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 2669