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作品名:身延山にて 作者:じゅんしろう

第9回   9
「高田松原も壊滅したようだな」と吉川のいった言葉に、修一は以前喜和子から聞いていたことを思いだしていた。
「七万本の松の木がある美しい景勝地で、日本百景にも指定されているのよ」とお国自慢を語っていたのだ。
「本来どの辺りに有ったのでしょうか」
「あの辺りです」と吉川は右方向を指示した。
そこは何もない海辺が広がっていた。わずかに幾カ所、その残滓と思われる折れた木々があるだけだった。
「無残だなあ…」 吉川は溜息を吐く様に声を落としていった。
修一は喜和子に聞いていただけに終わった、今は無い幻の松原の後を目で追った。すると、右手の端にある破損した大きな白い建物の後ろに、一本の松が高々とそびえ立っているのが見えた。
「あれは!」 修一が思わず声を上げ指差した。
「おお、松の木だ。残っていたのだ!」 吉川も声を上げ、両手を握りしめた。
 約七万本といわれる松原のうち、ただ一本だけ残ったこの松は、後に希望の松、あるいは奇跡の松といわれる。修一はあの松を見て、力が湧き上がってくる思いだった。それは吉川も同じ思いだったようで、「米崎小学校へ行きましょう」と力強くいった。
車は五、六分で着いた。体育館の辺りは多くの人が行き来していた。館内に入るとすぐ掲示板の所に行った。修一は避難者の名簿表を、目を凝らして追った。
「あった!」 種田喜和子という名前が修一の目に飛び込んでくるように映り、思わず声を出した。何度も確認した。恋人の名前がこれほど愛おしいと思えたことはなかった。前後して種田という女性の名前が載っていたから、母親と妹であることは分かった。ただ、父親の名前が見当たらないことに一抹の不安を覚えながら、吉川にことわりを入れ、体育館内を探し始めた。被災者たちは着の身着のままの人が多い。あるいはすでに支給されている衣服を羽織っている人たちもいるが、一様に地味な姿であった。項垂れて身を寄せ合っている人々、ひそひそと囁きあうように言葉を交わしている人々、見分けが付きづらい。だが、生きてここに身を寄せていることは間違いないのだ。業を煮やした修一は思い切った行動に出た。正面に進み出ると、「種田喜和子さん!居りませんか!」と大声で呼びかけたのである。一瞬、体育館のざわめきが止んだ。すべての目が修一を見た。すると、中央右端の若い女性が立ち上がった。喜和子ではなかったが容姿が似ていたので妹に違いないと、修一は急ぎ近寄っていった。


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