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作品名:身延山にて 作者:じゅんしろう

第4回   4
「ありがとう」と、修一は素直に頭を下げた。 
「いいこと、くれぐれも無理はしないでね」
「はい、分かっています」 直子は、後は何もいわなかった。
少し経って惣太郎が束ねた封筒と地図帳を抱えて居間に入ってきた。
「各封筒には簡単な震災に向かいたいことの経緯と、お前の紹介を認めてある。世話になりそうな寺院に対してのみこれを渡しなさい。それから、まず北上して山形県の鶴岡市に行きなさい。ここには大学時代の旧友がいるからそこに泊まらせてもらいなさい。鉄道も何とか運航しているようだが、どうなるか分からない。到着時間が遅くなるかもしれず、無理は承知だが、すでに電話を入れ了解を得ている。それから…」と、惣太郎は鶴岡市から陸前高田市までの道程を、地図を開き逐一、修一に指示した。
その後、修一は列車を乗り継ぎながら新潟県を経て、山形県の鶴岡市に着いたときは夜も更けていた。日本海側の路線は不通に陥っていなかったが、それでも混乱の影響を受け列車の遅れがあった為である。駅から電話を入れると、すぐ車で迎えに来てくれた。
惣太郎の旧友は大学時代の同期で吉川福次郎という人であった。鶴岡酒造という会社を経営しているというが、みずから運転をして来た。
簡単な挨拶を交わしただけで、状況が緊迫していただけに車中での会話は無かった。父親が今回の事をどの様に話をしたのか、という省みるゆとりもなかった。修一にとって見知らぬ土地である。通り過ぎ行く暗い町並みに彷徨い、深い海に漂うような不安を覚えただけだ。やがて車は大きな屋敷に入って行き止った。
すでに玄関口には品の好い老婦人が迎えに立っていた。吉川の妻の詩子だった。
「いらっしゃい、お疲れだったでしょう」と、詩子は修一に対して優しくいった。
「夜分遅く、お世話になります」と修一はいったが、暗がりであったにも関わらずどことなく見覚えのある感覚をいだいた。
居間であらためて挨拶を交わしたが、すぐ、吉川は現在の状況を修一に説明しだした。深夜であったが、テレビは被害状況を放送し続けており、それを差し示しながら、一部地域では火災も起き、被災地の被害は甚大のようだといった。
修一は喜和子の安否が気遣われたが、どうすることもできない自分に対して歯軋りするだけであった。その修一の様子を詩子は心配顔で見ていた。
「大体の事情は惣太郎さんから伺いましたが、とにかく、今夜は如何することもできない。明日、状況を収集して判断しましょう」
吉川はそういうと、詩子に視線をおくった。
「床はすでに敷いていますが、食事はどうなさいましたか?」
「いえ、列車のなかで…」と修一はいったが、食欲が無い、というのが本当であった。
寝所に案内されたが、気が高ぶって何度も寝返りを打つという、また、まんじりとしない夜が過ぎていった。


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