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作品名:身延山にて 作者:じゅんしろう

第21回   21
その夜、驚きの母の表情のまま小さな宴を催したが、直子と修一の間にはぎこちない気まずさが漂っていた。惣太郎は二人の想いの行き違いを知ってか知らずか、修一と酒を酌み交わしながら自身の修業時代の失敗談を面白可笑しく多いに語った。吉川夫妻のことはさらりとふれただけであったが、ときに懐かしみ歯を見せて笑い語ってくれた若き日の父親の素顔に、修一は深い気遣いを感じていた。
その夜半のことである。修一、修一と耳元で呼ばれ、身体を揺さぶられて目を覚ました。寝間着姿で蒼ざめた顔の直子であった。
「如何したの?」 「お父さんが大変」
父の寝間に向かい入ると、脂汗を浮かべ両手で腹を押さえながら、苦痛に顔を歪めている惣太郎の姿があった。
「お腹が痛いの?」 修一の問いかけに惣太郎は頷き、身を屈めた。
「救急車は?」 「呼んであるから、間もなく来るはずよ」
「着替えておかなければ、お母さんも」 修一の言葉に直子は初めて気が付き、支度を始めた。修一も肉親の異変に強い不安を覚えながら部屋で着替えていると、救急車のサイレン音が聞こえ寺の前で止まった。修一と直子も救急車に乗り込み病院に向かった。搬送中直子は、おとうさん、おとうさんとしきりに声を掛けながら惣太郎の手を擦り続けた。修一は直子の必死なその姿に、母親に声を荒げてしまったことに対しての罰が当たった様に感じた。
惣太郎は胆嚢か胆管に石が詰まっている症状であり、精密検査をしたのち薬で溶かすか手術で除去するということである。命に別状はないが、一、二週間ほど入院することになった。薬で落ち着き眠っている惣太郎の寝顔に、修一は老いを見た。今後、いつ何時病気になるか分からない歳なのだ、父と母には僕しかいないのだ、とあらためて思い目頭が熱くなった。
久遠寺にはすでに荷物は送ってある。父の急病のため、遅れると連絡を入れた。
父親の急病に、修一は甘えを捨てなければならないと思った。修行は自分に課せられた使命であり義務だと考えた。そうすると、気持ちが少し楽になった。
病院へは毎日見舞いに行ったが、胆管に石があり手術で取り除くことになった。重体
ではないことが分かり、その結果次第で久遠寺に行くことを決めた。
手術日の前日のことである。惣太郎は修一の顔を見て、「だいぶ和らいだようだな」といった。すぐ修一は父のその意味を理解した。


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