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作品名:身延山にて 作者:じゅんしろう

第20回   20
一旦帰郷した後、身延山久遠寺へ得度のため修行に行かなければならない。しかしながら、修行する身として心構えに何かが足りないと感じていた。この半年余り御経を唱えてきたが、このままで良いのかという漠然とした疑念が心の隅に生まれていた。それは修行によって得られうるものと異質なものの様であり、微妙に違うような気がしていた。出発の日が近づくにつれ、その思いは大きくなっていったのである。
直子はその息子の異変に気が付いていた。母親としてできるなら手を差し伸べてあげたかった。だが、惣太郎もそのことは気が付いていた。修一の読経に迷いを感じていたのである。しかし、教え諭して如何なるものでも無いと思っていた。自分自身で掴み得るものであると考えていた。したがって、直子に無用なことはするなと命じていた。
しかしながら、息子の思い悩む姿に母親としての情愛がその禁を破った。
この寺院は江戸時代初期から続く古刹である。蔵には代々にわたる多くの色紙や掛け軸、蔵書がある。直子は惣太郎に嫁いでから、虫干などその管理を任されていたといってよい。悩める息子に相応しい色紙を贈りたいと考えた。その中に幕末の頃、激動の時代を生きた或る和尚の作でかねてより好きな書があった。
柳は緑、花は紅真面目 宋の詩人蘇東坡が詠った。自然はいつもあるがままの美しい姿をしているという意味であるが、朴訥な筆遣いの中に何ものにも囚われない懐の深さを感じ、和尚の人格が滲み出てくるような書であった。ときおり、直子自身が思い悩むときその書を見つめ、心の平安を保っていた。直子はその思い付きに、やや浮かれたといってよい。
修一が旅立つ前日に小さな額を買い求め、それを収めた。手に取り見ると、さらに良い書だとあらためて思い、自分の行為に満足した。
「修一。修行中これを持っていきなさい。お母さんが何事か迷った時の座右の銘で、好きな言葉なの。お父さんには内緒よ」といい、それを示し渡そうとした。途端、修一の顔色が変わった。
「いりません!」 修一は反射的に強い口調で拒否した。
修一は父から書を習い、大学でも漢詩、漢文の類いは勉強している。当然、その意味は知っていた。仏教用語では、あるがままに徹し生きる、という悟りの境地である。だが、母親の行為は心の中を土足で入り込まれたように感じたのである。久遠寺に行く前に何かを掴みたいという、もがき苦しんでいる自分に対してほっておいて欲しかったのだ。喜和子のように自分で掴みたかったのだ。
直子は息子の思いがけない反抗的な態度に茫然となった。嘗てないことに、おろおろとなってしまった。息子は自分で脱皮しょうとしている、惣太郎の、無用なことはするな、という意味をこのとき理解した。


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