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作品名:身延山にて 作者:じゅんしろう

第2回   2
父親の惣太郎は遅い結婚であった。直子とはひとまわり以上歳が離れており、四十代後半に修一が生まれた。他に子供はいない。息子に対して厳しくもなければ溺愛するということもなかった。黙って見守っている、という態度を取りつづけた。修一が自ら仏教系の大学に進学したいといったときも、穏やかな表情を崩すことなく頷いただけであった。すんなりと大学に合格した。そのとき、惣太郎はいつになく修一のために動いた。東京の知人に下宿の世話を依頼し、さらに入学のとき一緒に上京した。表向きの理由は、その知人へのお礼の挨拶と、数十年ぶりに東京の変貌を見るため、としていた。下宿は大学の駅まで電車と路線を乗り継いで四つ目という近さであった。修一は父が陰で尽力してくれたことを肌で感じていた。
下宿は住宅街の民家を改造したもので、二階の角にあり四畳半一間という狭さであった。だが、そのことで別に不満は覚えなかった。それよりも、修一が先に送っておいた荷物を片付けている間に惣太郎が外に出て、帰ってくると近くの花屋で買い求めたのであろう、小さな和机の花瓶に一輪の白躑躅の花を挿しているその背中を見て涙が出そうになった。花言葉は節制である。父親の思いがそのまま伝わってきた。
初めての東京での一人暮らしである、自由を満喫したといってよい。書道のサークルに入ると、そこで同学年の女の子と親しくなった。文学部の種田喜和子といい、出身は岩手県の陸前高田市という。実家はそこで食料品店を営んでおり、両親と高校生の妹の四人家族とのことである。うりざね顔に切れ長の目が印象的な色白の肌の女性だった。背丈もすらりとしていて、連れ添って歩く長身の修一とつり合いがとれていた。
喜和子は古文を専攻していて、紫式部の源氏物語を研究したいといい、修一にたいしても仏教に関しての質問をしてきたりする女だった。喫茶店や公園などで様々な話をしたが、理屈を追及するのではなく、控えめに素朴な疑問の答えを得たいという姿勢に修一は好ましさを感じ惹かれていった。
喜和子は大学近くのアパートの二階の一間を借りていた。ほどなくお互いの住まいを行き来するようになった。そして街の紅葉が色付いてきたころ、喜和子の部屋で二人はむすばれた。それから、修一はときおり喜和子の部屋で朝を迎えるという、甘い学生生活を送っていた。
そうして一年半が過ぎた平成二十三年三月十一日金曜日、修一と喜和子は春休みをそれぞれの故郷で迎えていた。
二十歳の修一は何もかもが順調で充実感に満ち溢れていた。まだ両親に喜和子のことを話してはいないが、二人の将来について意識するようになっていた。
午後二時四十六分十八秒、それが起きた


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