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作品名:身延山にて 作者:じゅんしろう

第15回   15
朝食を済ませると居間のテーブルを挿み、二人でお茶を飲んだ。詩子は昨日のことは何も聞かなかったが気遣いを感じ、修一にはなんとなく母親と向き合っているようなふしぎな感覚を覚えた。顔つきだけではなく、何気ない仕草も似ているのである。ふと、父親はこの人と似たような人を選んで結婚したのではないのかと思った。あるいはこの人を好きだったのではないだろうか。だから独身時代が長かったのではないのかと、ぼんやりと詩子の顔を見て思った。
「なあに?」 ふいに詩子がいった。 「えっ?」
「私の顔に何か付いています?」
「あ、いえ…。ただ僕の母親になんとなく似ているなと思いまして」
「まあ、そうなの、本当に?」 詩子は思わず顔をほころばせた。
「はい、初めてお会いしたときから、どことなく似ているなと思っていました」
「そう、そうなの」と詩子はいい、それから直子の人となりを幾つか訊いてきた。修一の答えに対して、逐一嬉しそうに頷いた。
「私が東京の大学に進みたいといったら、私の家は日蓮宗でしてね、あの大学ならば、と親が許してくれたの。それで学部は違いましたが、惣太郎さんと同じ大学で御一緒だったのよ。私の連れは新潟のお寺の次男でね、惣太郎さんと同級生」
「えっ、では吉川さんは僧侶に成らなかったのですね」 修一は父親と同じ大学というだけで、同学部だとは思いもしなかった。
「ええ、私は一人娘でね、婿養子を取らなければならない定めだったから」
「すると、吉川さんは僧侶ではなく、おばさんとの結婚を選んだという訳ですね」
「そう、私の為に。もっとも、連れは六十歳を過ぎてから得度をして、在宅僧侶になり、毎朝御経を唱えていますけれど」と、詩子は自分のために人生を変えさせた後ろめたさを幾分か和らげた思いがあるのであろう、少しほっとした様にいった。
―もしかすると、吉川さんだけではなく父もこの人を好きだったのではないのか。父も一人息子で僕と同じ立場だった。あるいは自ら身を引いたのではないか。だから、息子である僕に同じ思いをさせないためにも、喜和子のことに熱心に対応してくれたのではないのか。また、吉川さんも詩子さんへの父の思いを知っていて、同様に喜和子のことに便宜を図ってくれたのではないのか。或いは詩子さんは…。 修一はそのようなことを想像し、一人の女性を同時に愛した二人の男の葛藤を垣間見たような気がした。
仏教用語に縁という言葉がある。修一はその種の言葉を勉強しているが、極身近に不思議な縁を感じたことは初めての体験であった。今まではともすれば他人事の遠い感覚であったが、喜和子のことで思いもかけない状況にいる自分自身を知ったのである。


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