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作品名:平四郎の恋 作者:じゅんしろう

第8回   8
翌日、平四郎は眠っている食器類を探し出し、居間に続く和室に並べてみた。そのことだけで半日近く係ったほどで、思いがけないほどの量であった。妻と過ごしてきた歳月をあらためて感じさせた。中には素人目にもかなりの値がしそうな物が幾つもあり、一度も目にしたことがない物が多かった。それらは未使用の組み合わせの物もあれば、凝った造りの骨董品の類いの物もある。以前より妻のやり繰り上手は、薄々感じてはいた。臍繰りで買い求めたものであろうが、これほどとは思わなかった。これらを見て、妻は相当の食器通と思われたが、あるいは自分への不満の捌け口がそうさせたのかと疑った。妻の四十九日の法要の後、娘との会話を思い出したからである。平四郎はそれらの品々をじっと見つめた。そうしていると、生前の妻とのなにげない会話を思い出し、それらの言葉が幾つも幾つも流れるように平四郎の脳裏を過ぎていった。だんだん妻の叫びともいえる悲痛な声がすぐ側で聞こえてくるような錯覚に陥ったほどだ。
やがて平四郎の中の小さな嵐が過ぎ去った後、妻は私に愛されているという実感を得たかったのではないかと確信をした。初めて妻の中の女を見た思いだった。だが、平四郎は従順に付き随ってくれることに満足しきっていて、妻にこれといった意志を示したことは無かった。夫婦間において日々良しであれば、それで事足れり、と考え妻もそうであろうと思い込んでいたのである。
「そうか、済まなかった…」 平四郎は、ぽつりと呟き、そのまま座り込むと目を瞑り項垂れた。
一週間ほど、平四郎は妻の思いが籠っている食器を女将に譲るかどうか迷った。だが譲らなければ、埋もれたまま破棄されることになる。妻の思いを鑑みると、それは忍びなかった。結局、平四郎はその品々を生かす道を選んだ。
その夜、他の客に内容を知られたくないため、ふくろうへは遅めに行った。
「あら、このところお見えにならないから、どうなさったのかと心配しておりましたのよ」と、女将は平四郎を見とめるなり真顔でいった。
「あ、いや、見てのとおりです」と、平四郎は笑いながら軽く受け流し酒を注文した。
客は見慣れぬ八十歳前後の夫婦連れの一組だけだった。耳に入ってくる女将との会話のやり取りから、明日揃って老人ホームに入居するということで、最後の思い出に連れ添って食事に来たということのようだ。だが、老人ホームでも外出はそう難しいことではない筈だと思っていたが、どうもその奥さんの言動に違和感を覚えた。幾度も同じことを繰り返しいうのである。旦那の方はその都度、丁寧に受け答えをするのであるが、いったん納得したかと思いきや、また同じことを来り返す。平四郎は奥さんがすでに痴ほう症になっていることを理解し、目を瞑った。旦那の方は決して声を荒げることなく、優しく丁寧に説明し続けた。夫婦でどのような風雪を耐え生きてきたかは、窺い知ることは出来ない。だが、平四郎は目頭が熱くなっていくのを禁じ得なかった。その旦那は痴ほう症になっている奥さんをそのまま受け入れているのである。深い愛情の賜物であった。平四郎は妻の文子にそういう思いを示していなかったことをあらためて自覚した。夫婦として契った以上、夫として妻に対して示さなければならない必要最小限の責務だと思った。心の底から妻に対して、済まなかったと頭を垂れた。
やがて、その夫婦は店を出ていった。しばらくの間、平四郎も女将も何もいわず、店は静まりかえっていた。


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