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作品名:平四郎の恋 作者:じゅんしろう

第2回   2
半年ほど前から、老人ホームの件について慶子としばしば話し合っていた。といっても、ほとんどが電話での遣り取りだけであった。慶子は型通り自分たちとの同居を提案してきたが、平四郎はそれを断った。慶子の住む江別市は石狩平野の中にある街だった。平四郎は平べったく地形に変化のない街が好きではなかった。海と山に囲まれ、起伏に富み坂のある今住む小樽の街が好きであった。もっとも、その坂道がきつくなったことも、老人ホーム入りの一因ではあるが。それに、平四郎と慶子の間には、互いに口には出さぬが、或るわだかまりがあった。十年間に亘る長いわだかまりが…。
昼少し前、娘夫婦が車でやってきた。夫の山下幸夫は道内大手の銀行に勤めていたが定年後、更に系列会社に数年勤めたのち、そこも昨年退社し年金生活に入った。昨年小樽に来て顔を合わせたとき、長い勤めを終えた安ど感からなのか表情が一変していて、行員時代と違いじつに穏やかな顔つきになっていた。
平四郎はこれまで幸夫に対して単に無口な男という印象を持っていただけであった。だが控えめではあるが、以前はなかった平四郎と慶子の話のやり取りにも入ってきたりした。慶子が席を離れたとき幸夫がぎこちない笑い顔を作り、「務めは果たしました」と、ぽつりと呟いた言葉が印象に残った。平四郎は、この男も長い風雪を耐えて生きてきたのだと、あらためて見直し好意を持った。
慶子は平四郎と目を合わせることなく、途中で或る有名店の寿司を買い求めてきたといい、幸夫を一瞥するとそそくさと台所に入りお茶の支度をし始めた。その間、夫に何か聞き質させようとの意図は透けて見えた。二人は二十坪程ある庭に面した、柔らかい陽射しが当たっている縁側に座った。正面に梅の木があり、左右につつじや紫陽花などが植えられていた。その花々は亡くなった文子が植え、手入れをしていたものであった。梅の花弁が散ると、白いつつじや淡い紫色の紫陽花など次々に咲いていく。それは秋の終わり近くまで続いた。ただ、どれもが控えめな印象を与える。それらを見るたび、自分の後ろに寄り添うように生きてきた文子の性格そのものだと感じていた。今は平四郎が手入れをしているが、自分好みにすることなくそのまま受け継いでいた。
文子とは戦後の混乱がやや落ち着きだした頃、或る人に勧められての見合い結婚であった。社交的な平四郎とは好対照な口数も少なく控えめな女であった。平四郎は古風な女だと思ったが、その組み合わせが良かったのか波風なく過ぎゆき、お互いを空気なような存在に感じたときに文子は脳溢血であっけなく亡くなった。それから十年経っていた。
二人ともなにいうでもなく、ぼんやりと庭を見ていた。塀の外は勝納川という小樽で一番大きな川が流れている。雪解け水で水量が増している為、急流で水音が高かった。
「買い物を思い出したから、近くまで出かけてくるわね。お寿司、先に食べていて」と、不意に慶子の声が後ろから掛かり、幸夫の肩に手を当て、出かけて行った。


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