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作品名:平四郎の恋 作者:じゅんしろう

最終回   15
老姉妹は女将の話を聞き終えると、姉の方は、「貴女はこれまで十分苦労をしてきたから、神様がご褒美を与えてくれたのよ、遠慮することはありません」といった。妹の方は、「世間体なんか気にすることはない。貴女は平四郎さんに損得抜きで何年もの間、実の父親に接するように尽くしたのだから、真心が通じたのよ。遠慮する必要なし!」といい、二人とも女将の背中を押してくれた。
「お二人から、そのような暖かいお言葉を頂き、私はおとうさん、いえ、平四郎さんの御好意に甘えさせてもらうことにいたしました」 
「よく決心してくれました。もしや貴女を傷つけたのではないかと、心配していました。ありがとう、本当にありがとう」というと、平四郎は女将の柔らかな手を握った。
 そのとき幸夫はおもわず上気した顔で語る平四郎を見て、舅殿は恋をしているのだと思い、羨望とともに人生の妙を感じたのである。
そこへ慶子が帰ってきた。平四郎は慶子が何処へ行ってきたか、察しはついていたが敢えて黙っていた。
 「お父さん、ふくろうで食事をしてきました。何もいわなかったけれど、女将さん、すぐに私をお父さんの娘と分かったそうよ。お客が居なくなった後、いろいろとお話をしました。女将さんはいい人ね、お料理も美味しかったし。お父さんが決めたことですから、いまさらとやかくいいません。でもね、この家のことや…」と、平四郎は慶子の言葉を制し、「和室の箪笥の上に封筒がある、取ってきてくれ」といった。慶子はいわれたとおり取ってくると、それは大きな封筒であった。
 「女将は結婚に際し、ひとつ条件を出してきた。それは女将自らがこの家や保険金などの財産の放棄をすることだ。その誓約書とそれに沿った私の遺言書、この家と土地の権利書が入っている。いま、慶子にこれを渡す、受け取ってくれ。女将との詳しい話は後で婿殿に聞いてもらいたい」
 「お父さん…」 慶子は心の中を見透かされたことに、恥ずかしそうに顔を赤くすると、後は言葉にならなかった。
 夕方、娘夫婦を見送った後、平四郎は流石に疲れソファーの背に身体を預けるようにして座った。だが、娘の了承を得たことで安堵したのか、それは心地よいものといえた。目の前のテーブルには、慶子が作ってくれた夕食の品々が並べてある。しばらく、それをぼんやりと見ていたが、何かを思いついたようで、その中の一品を和室にある仏壇に供えた。それは平四郎と亡くなった文子の共通の好物であった小松菜の和え物であった。
「文子、済まないがそういうことになった」と平四郎は位牌に話しかけ、お鈴を鳴らすと手を合わせ深々と頭を下げた。
一か月後、平四郎は老人ホームに入居した。その前日、平四郎と女将の裕子は結婚したが、入籍しただけで世間に披露することは無い。それを知っているのは慶子の家族と婚姻届の保証人になってくれた老姉妹などの限られた人たちだけである。
妻となった裕子は休日になると、心待ちしている平四郎の好物を作って老人ホームを訪れる。傍から見ると、二人の様子は仲の良い父と娘としか映らなかった。


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