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作品名:平四郎の恋 作者:じゅんしろう

第14回   14
さらに、あの日から一週間が過ぎた夜遅くのことだった。突然、チャイムが鳴り、平四郎はどきりとした。この時間帯は女将の訪問しか考えられなかった。玄関を開けると、女将が難しい顔をして立っていた。瞬間、その表情から断られると思った。女将は顔を暗い路地の方に向けた。電信柱の陰から黒い影が家に向かってきた。それは店で会ったあの別れたはずの元亭主だった。元亭主は平四郎に対して慇懃に頭を下げた。
「こういう訳ですから、悪しからず」と、女将は冷たくいい放ち、去って行こうとした。思わず平四郎は手を差し伸ばし、「待ってくれ!」と叫んだ。そこで目が覚めた。
平四郎は居間のソファーに横になっている自分を知った。ひどい汗を掻いていた。
「夢か…」 そう呟いたが、胸の動悸が静まるまでそのままでいた。ようやく起き上がると寝室に行き、濡れたシャツを脱ぎタオルで身体の汗を拭った。着替えると、また居間のソファーに腰を沈めた。夢の中のことと分かった後でも、女将がまたあの男と一緒になることは、あってはならないと思った。それには耐えられず、切ない気持ちが平四郎の胸中を覆い尽くした。そのとき、平四郎は自分の本心を知った。「何ということだ」と声に出し、虚ろな目で女将の姿を追い求める自分に気が付くと頭を抱え、目を瞑った。
これでは、自分は本心をかくし甘言を持って女将を取り込もうとしたことになる。あってはならないことだ、と平四郎は深く考え込んだ。
さらに何日かが過ぎた朝のことである。平四郎はほぼ諦めかけていた、といってよい。軽率であったかと、己の行為を恥じてもいた。だが万が一、女将が承諾してくれたら本心は心の奥深く秘めて、思慕の情を懐かせてくれたことに感謝と満足に留め、無垢の間柄でいようとも決めていた。その時、チャイムが鳴り、玄関には女将が立っていた。
そこまで幸夫に話をしたところで、平四郎は肌寒さを覚えた。見ると陽は相当傾いていて、庭はすべて陰になっていた。随分と長く話していたことになる。無論、慶子との葛藤や女将への想いなど微妙なことまですべて話したわけではない。だが、娘婿である幸夫にここまで饒舌に胸中を吐露することになろうとは、自分でも意外であった。どこかで本心を察して貰いたいとの気持ちが無意識に働いたのか、と平四郎は思った。それも、辛抱強く聞き手に徹してくれた幸夫であるが故であろう、とも思った。
「お義父さん、身体が冷えますから中で」との幸夫の言葉で居間に入った。     「それで、女将さんは何とおっしゃったのです?」と幸夫は直ぐに話の催促をした。
「うん、私が思っていたように、女将はろくに年金を支払うことが出来ないような生活をしてきたといい、老後の不安を抱えていた。ただ、遺族年金を受給するためだけの結婚は許されることなのだろうか。そのことで、慶子に薄汚い人間と思われはしないだろうかなどと、相当悩んだという。そこで思い余って、リサイクルショップの老姉妹に相談したそうだ。老姉妹がいうには…」  「……」


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