20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:平四郎の恋 作者:じゅんしろう

第11回   11
その後、女将はかいがいしく平四郎の世話をした。石油ストーブを点けて部屋を暖めると、敷布団のシーツを替え、平四郎の下着を替える際に身体も拭き、有無をいわさず布団に寝かしつけた。平四郎は女将のてきぱきとした動きや指示に黙って従うだけであった。さらに、朝食として生卵入りのお粥を作ると自ら息を吹きかけながら冷まし、レンゲで平四郎の口に運んでくれた。平四郎は心底、美味いと思った。風邪も何処かに飛んで行ってしまったような気になったほどだ。
「介護の仕事をされたことがあるのですか?」との平四郎の問いに、「いえ、亡くなった母を看病していた時に自然と…」と、女将は寂しげにいった。
「悪いことを聞いてしまいましたね」
「いえ、いいのです。なんだか、一度も会ったことも話をしたことも無いお父さんを世話した様な気持ちになって、嬉しいです」 
平四郎はその言葉に目頭が熱くなり、女将の顔がレンゲから立ち昇る湯気とともに霞んでしまった。女将は昼の仕事のため一旦出るが、その後また様子を見に来るといって帰って行った。一人になった平四郎は、今度は満たされた気持ちで天井を見ていたが、「二人目の娘が出来たか」と呟き、目を瞑った。
それからも、女将はときおり家に来て何かと平四郎の世話を焼くようになり、家事や雑事をしてくれ、今までどおり二人で食事をした。平四郎の楽しみは続いた。
女将は常々、親しい常連客で年配の男性に対して、とうさん、と呼んだりしていたが平四郎もその中の一人に加わった。但し、おとうさん、であるが。
このようにして、さらに数年が過ぎた。
娘の慶子たちがやって来るときは事前に連絡をしてくる。そのこともあり、女将と鉢合わせすることはない。あるとき、慶子が食器類の無くなっていることに気が付いたことがあった。「どうしたの?」との問いに、「慈善団体に寄付をした」と平四郎は咄嗟に嘘をついた。「ふうん…」といっただけで興味がないのか、慶子はそれ以上問うことはなかった。平四郎と女将の間にはやましいことはない訳であるから、隠す必要はない。が、無用の混乱は避けた。ただ、娘は母親の高級食器類を買い求め続けた、本当の理由を知らないな、と思っただけである。
歳を取るということは、身体のあちらこちらが疲労して何かしらの障害が生じ、行動が制限され不自由になるということでもある。平四郎は近ごろ頓にそのことを感じるようになった。そろそろかな、と平四郎はかねてより考えていることを実行に移す時期が来たと思った。それは老人ホームに入居することであった。娘の慶子の世話になることは、はなから考えてはいなかった。同じような年代の人々と係わり合い最期を迎える、それが一番自分に相応しいと考えていた。そのことは常々慶子に伝えてある。最初、慶子は世間体のことなどで抵抗を見せてはいたが、近ごろは平四郎の意思の堅さに渋々ながらも諦めているようだ。平四郎はこのような独善的考え方が、妻の文子に肌で孤独を感じさせていたのだろう。妻を心理的に追い詰めさせたことに、あらためて済まないと思ったが、自身の頑迷さはいまさらどうにもできなかった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 3503