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作品名:平四郎の恋 作者:じゅんしろう

第10回   10
「遠くの親戚より、近くの他人か」と平四郎は口に出してみた。女将に食器類を譲ってからの行き来も、半年になろうとしていた。後一、二回でそれも終わりである。平四郎は知らぬ間に女将の訪問を楽しみにするようになっていた。
「寂しくなるな…」と、思わぬ言葉がぽつりと口から出た。その言葉に平四郎自身が意外に思ったほどである。歳を取る程に楽しみが少なくなっていく。また、ひとつ楽しみが失われようとしている。平四郎はこれまで機会があれば各種のサークルや催し物に参加してきたが、それも近頃億劫になってきていて、随分と減っていた。今や最大の楽しみは女将が訪問してくれることであった。近年、年末年始は娘の家で過ごすことになっている。そこでは孫や曾孫に会う。それはそれで楽しみではあるが、女将と過ごす時間はそれとは異質のものである。無論、娘と同年代である女将に懸想している訳ではない、と平四郎は思っていた。そのような生臭い話にはならないとも、平四郎の理性が拒否していた。ただ、寂しい気持ちになっていることは、如何ともしがたかった。
この半年間の交流で女将は平四郎に気を許したのか、あるいは誰かに閉じ込めていた心の内を知ってもらいたかったのであろう、少しずつ身の上話をするようになっていた。それによると、随分辛い過去を背負って生きてきたようである。私生児で父親の顔を知らず母一人娘一人の母子家庭で、その母親も中学生の頃病気で亡くなり天涯孤独の身になったといえよう。その為、卒業と同時に働き始めた。だが、男運が悪かったのか三度離婚を経験したといい、子供は一度流産した後できなかったといった。店で平四郎が居合わせ復縁を求めてきたのは三番目の夫であるということだ。男が初婚で女将が再々婚ということから同居していた姑にひどい扱いを受け、母親に追随するばかりで優柔不断な男の態度に離縁を迫り飛び出すようにして家を出た。もう男は懲り懲りともいい、人にいえない様な苦労の末に今の店を持ち今日に至ったといった。
この前家に来たとき、すべてを話し終えたのであろう、女将はにっこりと笑い、「ありがとうございました、これで胸の閊えが取れ楽になりました」といい、平四郎の両手を握ったのである。柔らかな手の、その感触が今でも平四郎の両手に残っていた。
その時、チャイムが鳴った。今日は女将が来る日ではない。平四郎は娘の慶子かなと思いながら寝間着姿のまま、少しふらつきながらも玄関の戸を開けると、心配顔の女将が立っていた。
「このところ、店においでになりませんから、どうなさったかと思いまして」
「いや、風邪を引いたようで、安静にしておりました」
「まあ、お医者さんに診てもらいましたか?」
「いえ、それほどのことはないでしょう」
「とにかく家の中へ入りましょう」と、女将はいいながら平四郎の手を取り、寝室まで導いていった。また、平四郎は女将の柔らかい手に触れ、温もりを感じた。


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