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作品名:路地裏の猫と私 最終章 作者:じゅんしろう

第6回   6
「もう長く勤められているのですか」と問えば、「いやー、まだ二、三ヶ月ですよ」と笑って答えてくれた。鏑木さんが務めてからすでに三人が辞めたとのことである。速い人で一週間、あとは一ヶ月くらいとのこと。三人とも昼間務めを持っていたということで、片手間ではできないようだ。出入りが激しいようであるが、自分は大丈夫かいな、と内心思った。ただ、妻に報告した手前、何をいわれぬか分からぬので、簡単には辞められない。
と、そのときホール側から丸顔で小柄な和服姿の娘さんが、「おはようございます」と笑みを浮かべて我々に挨拶をしてきた。
「あ、おはようございます。由香ちゃん、こちらは今日から働く大石さんです」
「おはようございます。佐藤と言います、よろしくお願いします」
「大石です。お世話になります」と私も挨拶を返したが、若い女性と言葉を交わし合うのは久しぶりだな、と思った。高校教師時代はいいだけ女子生徒と言葉を交わしていたにも関わらず新鮮な気持ちになった。鏑木さんがいうには、たった一人の専任の仲居さんということである。後はマネージャーやウエィターで男がほとんどであるという。忙しい時、ときおり別の部署の女性が加わるとのこと。また、マネージャーは黒のタキシード姿で、各部署に何人もいるとのことだ。
それから、何人かのウエイターが、「お願いします」と言いながら食器を下げてきだした。その都度、鏑木さんは私を紹介するが、皆丁寧なもののいい方だった。ホテルでの客商売であるから、ぞんざいな態度は御法度で厳しく教育されているのであろう、と感じた。
鏑木さんがまず洗い方の手本を見せてくれた。食器の食べ残しを横手にある水道で洗い流しシンクに漬け、それをスポンジできれいにふき取ると、カートという食器入れに並べて洗浄機に掛けるという工程であるが、手際よく素早いものである。交代して私もやってみたが、もたもたして鏑木さんの様にはいかない。その洗浄機に掛けられたものを専用の布で拭きあげ、ある程度まとまると所定の場所に収納するのであるが、和食の食器は種類が多く各所に分散されており、慣れ覚えるのによほど時間が掛かりそうだ。
さらに、コップの拭き方を教わったが、完全に水を拭きとり曇りがないようにしなければならないので、結構難しい。
作業しているうちに気が付いたのであるが、調理師の人たちは皆おとなしく優しげな感じを受けた。ときおり、笑い声が聞こえ和気藹々のようである。一昔前の厳しい徒弟制度の様ではないので、時代は変わっていると肌で感じた。彼らはオーダーストップになると帰って行った。鏑木さんの説明では、客の混みようにもよるが八時半ぐらいに引き上げるといった。後は私と鏑木さんだけである。その間の出来事であるが、やはり客によって料理に手を付けていない物が少なからずあった。好き嫌いもあるだろうが、これは不味いからではない。基本的に何とかコースという多種多様の料理の組み合わせで量が多いからであろうと思った。ここに来る客は美味いものを求める年配者が多いようだ。その為どのコースもいい値段である。だが、若い時は大食漢でも歳を取ると量が減るものだ。従がって悲しいかな、残さざるをえないのだ、と思いながら私は遠慮なくそれらを食した。
こうして、第一日目を終えた。


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