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作品名:路地裏の猫と私 最終章 作者:じゅんしろう

第5回   5
家に着くと、見かけぬ厳つい顔の牡猫が玄関脇にいた。濃い茶色に黒の斑点模様である。よく見ると顔にも傷跡があり、いかにも悪役顔である。私が近づくと、のっそりというようにその場を離れた。ふてぶてしい態度であるが、どことなく愛嬌もなくはない。猫ハウスの牝猫目当てなのであろう。街を散歩して気がついたことなのであるが、他の地域で見かける牝猫より此処の牝猫は美形が多いのである。もっとも、人間と猫とではその基準が分からぬが。
就職したことを東京の妻に電話で報告をした。驚くかと思いきや、「へーそうなの、私も孫たちの相手で忙しい日々だけれど、やはり人は元気なうちは働かなければ駄目ね」との返答であった。以前から感じていたとおり、妻の目は粗大塵化しつつある私を見ていたのであろう。妻の言葉はその皮肉かと思ったが、「まあ、しばらく動いてみるよ」といい電話を切ろうとしたら、今度私に連絡する時は携帯電話にしてくれという。訊くと、妻と孫たちだけで出かけるときなど何かと困るから、娘に持たされたということだった。私はこの携帯電話というやつが、縛られ監視されているようで大嫌いである。いままで持ったことは無い。妻にその考えを押し付ける気はないが、都会生活も何かと窮屈なものだと思った。
初出社の当日になった。私は指定されたとおり、白の半そでワイシャッと黒のズボンといういでたちである。当たり前のことであるが、シティホテルは冷暖房の空調設備は万全である。ホテル内は一年中これで過ごせるのだ。今夜は先任の鏑木さんという女性が指導してくれることになっていた。事務所にはすでに来ておられ、私と同年代の様である。簡単な挨拶を交わしたが、気さくな方で良さそうな人のようだ。黒のエプロンが支給され、一ヶ月分のシフト表を渡された。以前は管理会社で作成されていたのであるが、今後洗い場の管理はホテル側がするとのことである。やはり何か曰くがありそうである。早速、所長が同伴することなく三階にある和食の厨房に二人で行った。そこは二十坪ほどの広さで白い制服姿の五、六人の調理人が忙しそうに動いていた。私たちは、「おはようございます」と調理場全体に向かって挨拶をした。鏑木さんが教えてくれたことであるが、夜なのに、おはようございます、というのには違和感を覚えた。が、夜の仕事関係者では慣習の様である。だが、以前芸能人はどのような時間帯であろうと、おはようございます、と各現場で挨拶をしているのをテレビで見たことを思いだした。小さなカルチャーショックといったところか、と内心可笑しかった。
洗い場はその隅の一角にあり、ステンレス製の大きなシンク(流し台の水槽部分)が設置されていた。その左側にはレストランホールから運ばれてくる食器をおろす為の大きな窓枠のようなカウンターがある。右側は流し台で隣に大きな洗浄機というものがあった。当たり前のことであるが、すべて業務用といわれるものであるから大きな造りである。俄然、その気になった。シンクにお湯を張り、後は洗い物がおろされてくるのを待つ。その間、鏑木さんから作業手順などの説明を受けた。基本的に、洗い、拭き、収納の仕事であるということだ。和食は季節により旬の食材をお客様に提供する訳であるから、そのつど食器がそれにあったものに変わるのだという。したがって、種類が多く仕舞う場所があちこちにあり、覚えるのが大変とのこと。


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