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作品名:路地裏の猫と私 最終章 作者:じゅんしろう

第17回   17
「薬を一週間んでいる間、一滴も酒は呑まなかったのですが」と私が言うと、「おおそれは、すごい」と先生と側に控えていた看護師が拍手をした。
「ううむ、そうなりますと、仕事からくるストレスがきついのかも知れませんね」と先生は言い、二週間分だけ普通の薬を飲み、様子を見てみるということになった。
医院から帰るとき、たまたまその看護師が近くにいたので訊いてみた。
「胃潰瘍って、すぐ治るものですか?」
「ううん、すぐ治る人もいれば、ずうっと、薬を飲み続ける人もおります」と、曖昧な答えだった。街の医院という立場上、それ以上のことはいえない様であった。要するに、人によるとのことである。私はそこで考え込んでしまった。暇なときは良いとして、忙しいときは知らず知らずのうちに、イライラするときがあるのである。歳を取ると気が短くなるのかもしれない。いつのまにか、私の勤務時間は他の女性と違い最後の終了までとなっていた。今後、本格的な観光シーズンに入るとこの状態が続くことになる。つまり、ストレスが続くということで、胃潰瘍が完治しないのではないかと考えられるのだ。癌の再発ではなかったが、もう、限界かも知れないという思いが頭を過った。
そして数日たった或る日のこと。朝、新聞のおくやみ欄を見ていたら、見覚えのある名前が載っていた。湯川さんという方で、かつて碁会所に通っていたとき王冠戦という高段者リーグで碁を打っていた人である。特に親しい付き合いではなかったが、同年代の人の死は身に応える。自分の残りの年月を考えてしまうからだ。それぞれの死因は分からぬが、碁会所で知り合った何人かはすでに故人となられている。明日は我が身である。
―潮時かもしれないな。仕事、辞めようかな  そのことを本気で考えだした。
そうしてまもなくのことだった。妻から電話があり、娘が女の子を無事出産したとのことだ。桜の季節でもあり、薫子と命名したという。
「三十日のお宮参りに、あなたも東京に来て」と、妻のポジティブな要請に、「うん、行く」と、私は反射的に答えた。無性に孫という血の繋がった新しい命に会いたくなったのだ。娘のところは男の子二人である。初めての女の子であり、婿殿の溺愛は間違いないところであろう、と考えると私も嬉しくなった。同時にその日に合わせて、仕事を辞めることを決めた。
会社には胃潰瘍になり、なかなか完治せぬ為療養に専念する、とした。ホテルに通うのも後半月ほどだ。都合半年余りの勤務ということになる。せめて、立つ鳥跡を濁さず、という気持ちで仕事をした。


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