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作品名:路地裏の猫と私 最終章 作者:じゅんしろう

第13回   13
考えてみると、数十年ぶりの一人で迎える正月である。ぽっかりと穴が開いた気になったかといえばそうでもない。過ぎ去った年月が夢だったような気もしないではないのだ。なんとなく中国の思想家である荘子の、胡蝶の夢という言葉が浮かんでは消えることの繰り返しで、夜が更けていった。
大晦日の夜になった。ホテルの洗い場に入ると、とんでもないことになっていた。普段、洗った皿などを一時的に置く場所が各料理品でてんこ盛りになっていたのである。唖然としている私を尻目に調理師たちは忙しく動き回っている。そこへ仲居役の佐藤さんが来て、「大晦日はいつもこうなのです。洗った食器は空いているところか、一時的にエレベーター前に置いてください」と、指示するやいなや何処かに行ってしまった。
食器を洗いながら考えた。
―昔は大晦日といえば家で迎えるものだと思っていたが、今はホテルで過ごす人が多くなっている。それも外国人が異文化を体験したいということで、大勢の宿泊客がいる。世の中は確かに変わってきたといえるようだ。だが、しかしである。これも私がここで働いているからでもある。家で炬燵にでも入って熱燗の酒を、ちびり、ちびりと呑んでいたら、このようなことを考えもしなかったであろう。世間を見て知るとは、こういうことなのであろうと思った。それにしても、ええい、くそ忙しい。
翌元日の夜も忙殺された。観光客は致し方ないとしても、地元の人たちも結構来るようだ。内心、正月くらい一家団欒で過ごせよ、と悪態をつく。と、「おとうさん、助っ人を入れます」と仲居の佐藤さん。「おとうさん、一緒に頑張ろう」と去年の春に入社した二十歳の宮島さんという娘さんが洗い場に入ってきた。じつはこの頃、私は若い女性からおとうさんと呼ばれているのである。これは和食担当の四十歳代のマネージャーがいい出したのを女性たちが真似たのである。マネージャーがいう時には、お前の親父ではない、と心の内で言い返すが、可愛い娘さんたちがいう場合は、よしよし、と納得顔を見せるのである。それにしても、最近の娘さんは物怖じしない人が多く、思ったことをそのまま言葉に出す。同僚同士のやり取りを聞いていると、言葉の省略やおかしなイントネーションの、はやり言葉のオンパレードで私にはちんぷんかんぷんである。私に対しても遠慮がなくどんどん押してきて、こちらの方がたじたじとなることがある。この娘さんたちがお客の前では淑やかに微笑み、おもてなし、を発揮するのかと思うと可笑しくなるが。時代は完全に変わった、というのが私の結論であった。


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