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作品名:路地裏の猫と私 最終章 作者:じゅんしろう

第12回   12
冬になると、しばしの間暇になる。平日など、早仕舞いすることがあるようになった。少し疲れが溜まってきていたので、私にとって有りがたかった。宴会当夜の仕事量の多さに閉口しかけていたからだ。知らず知らずのうちに、ストレスが溜まっていたのかも知れない。ウエイターの誰かがいみじくも、「ハードな仕事です」といっていたが、彼らたちは若さゆえなのであろうが、よくやっていると思う。もし、彼らと同じ時間だけ働かなければならないとすると、倒れてしまうだろうとさえ思ったほどだ。だが、それも束の間のことである。十二月になると、忘年会シーズンに入るのだ。その種の宴会がうんざりするほど押し寄せてくる。私が男ということもあり夜間勤務が続き、残業を求められ時間も十一時を超えることが多くなった。明日は明日で泊り客の朝食がある為、洗い場の仕事をその日のうちに終え、次の日に持ち越さないようにするのだ。ホテルの仕事というサービス業は皆が遊んで楽しむときがかきいれどきである。昼間別に仕事を持ち、夜片手間に出来るようなものでは無いと思い、前任者の人たちが辞めていく理由が分かった。汗だくの、へとへとになる日々が続いた。
ただ、親しくなった三十歳位の片岡さんという人から、良いことを聞いた。忙しい時助っ人としてウエィターに入るが、本来はバーテンダーだという。或る夜、一緒に洗い場で作業をしたおりにウィスキー談義になった。
「大石さんはお酒を飲まれるのですか?」 「焼酎からワインまで何でもこいです」
「ウィスキーはどうやって飲みます?」  「おもにロックですね」
「それならば、瓶ごと冷凍庫に入れて飲むことをお勧めします」
「冷凍庫ですか?凍りません?」
「零下四十度以上にならなければ大丈夫です。液体がとろりとなりますよ」
「ほーう、美味そうですね」 「ええ、一度試してみてください」
ということで、帰宅して早速瓶ごと冷凍庫に入れ、翌日の夜飲んでみた。凍った瓶から氷を入れたグラスに注ぐときの、とくとくとくという音がなんともたまらず耳に心地よかった。口に含んだとき、とろりとした感触がなんともいえない。安いウィスキーでも何ランク上がったようである。それから病み付きになった。つまり酒量が多くなったのであるが、仕事疲れをいやす為仕方がない、と自分に都合の良い言い訳をして年が暮れていった。
年末近くになって、妻から電話があった。娘の体調は順調で、桜咲く季節に予定どおり出産できそうとのことだった。赤ん坊にとって温暖で過ごしやすい良い季節である。子供の命名については、私は口を挿むことはせず当人たちに任していた。
「私、どうしょうかしら?」  「なにが?」
「正月の支度よ、あなたはできないでしょう」 「いや、いい。そうもいかないのだ」
じつは年末年始の夜間、他の女性の洗い場の人たちは帰郷や自分の家の正月で休み、私一人がシフトに組み込まれているのである。従がって正月どころではないのだ。そのことを説明してやると、「あらまあー、大変ね」といい、一呼吸おいて、「じゃあ、私いいわね」と、あっさりのたまうた。すっと離されていく感じになり、ちょっと癪に障ったが、「ああ、いいよ」と私も平静をよそおい答えてやった。すると妻は言い訳がましく、「あなたも三十日のお宮参りにこっちに来ない」と言った。それには興味がそそられ、「ほう、それはいいね」と思わず賛同し、疎外感はいっきに解消した。「じゃ、そのこと考えておいてね」と妻は言い、電話は切られた。妻は始めから正月に帰る気はなかったのだ。私の思考回路を熟知している妻の一方的な勝利である。このとき私は我が家が、以前からうすうすとは感じていたがはっきりと、かかあ天下になっていたことを自覚したのである。


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