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作品名:路地裏の猫と私 最終章 作者:じゅんしろう

第1回   1
T
 すべてのものは生滅し常に移り変わるものであるという意味の、無常という仏教用語がある。私は仏教徒でもなく、とくに信仰も持ってはいないが、最近それを頓に感じるようになってきた。私自身は何も変わってはいないと思っているが、周りの変化が著しいのである。(実際には当人も確実に年を取っており、本人は意識が薄いだけであるが)
例えば、私が通っていた碁会所が閉じてしまった。席亭の谷藤さんは多くを語らなかったが、奥さんの実家がある旭川に引っ越し、義父が経営しているスーパーマーケットの後を継ぐとのことである。漏れ伝え聞くところによれば、以前より再三その話があったようで、年老いた親に対処せざるを得なくなった様だ。寄る年波には勝てないというが、まさにその通りで、他人ごとではない。実際、この春に妻の母親である義母の敦子さんが九十八歳で亡くなられた。桜が満開の時で家族皆の見守る中、老衰で眠るがごとくの天寿を全うされた。私自身にも、ひたひたと寄せ来る波の音が聞こえぬでもない。が、能天気でとっちやん坊やの私には、作家藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」の一文、日残りて昏るるに未だ遠し、の心境で足掻いているともいえた。
 我が家の横側にある猫ハウスの住猫の面々も変わっているようだ。
 猫の高倉健ともいえる孤高の猫、ごん太もいつの頃からか姿を見せなくなっている。その代り、ごん太の血筋をひく子猫が家の辺りを遊びまわっているのであろうか、スネ子一族とは違う顔立ちが目立つようになっていた。スネ子一族の特徴として、アニメのドラえもんに登場しているスネ夫のように目が細く釣り合がつている。それが、目が大きめで平行な猫がみられる様になってきたのだ。性格も明らかに違い、スネ子一族は決して人間に懐くこと無く警戒すること仕切りである。だが、何匹かの猫は我が家に興味があるのか、私が出入りの際にわざと戸を開けっ放しにしてやると、覗き込もうとするかのような仕草を見せる。人間ならば薄気味悪いが、猫ならば可愛いことこのうえない。ごん太は見かけとは違い、愛する牝猫のために自分の食事を分け与えるという心優しい猫である。あるいはその血が流れているかと思うと、ほのぼのとした気持ちになった。
「ほら、入ってこい。妻はいないから遠慮しなくていいよ」と言葉を掛けてやる。黒と茶の縞模様で、鼻から胸元が白い猫であった。が、すこし躊躇している様子をみせた後その場を離れていく、というのがこのごろのパターンであった。こうなれば持久戦で、そのうち家のなかへ入れさせようと考えている。


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