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作品名:やぶれかぶれ 作者:じゅんしろう

第3回   3
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豪右衛門は六年ほど前、槍組組頭である作左部孫市郎に見込まれ、入り婿になった。新妻はつうと言い、二つ年上である。豪右衛門は初婚であるが、つうにとっては二度目の結婚であった。つうは一人娘で最初の夫は戦で命を落とした。子はなかったので、作左部孫市郎家にとって、家名存続の一大事である。つうの、前夫は弱き人ゆえ、今度は強き男子を、と言う言葉に父親の孫市郎は奔走した。その結果、命知らずの強者と評判であった豪右衛門に白羽の矢が立ったのである。豪右衛門にとっても、つうの噂になるほどの美人である事は聞き知っており、孫一郎の、娘が強き男子を求めている、という言葉に大いに自尊心をくすぐられた。更に一介の足軽から組頭への道が開ける婚姻は願ってもないことである。貞女ニ夫に見えずとは、江戸時代世の中が平和になったあとの話で、実際,
徳川家康は多くの側室に子供を産ませたが、大半は未亡人であったという。戦国時代、戦場で命のやり取りをしている男たちが死んでしまえば多くの寡婦が生じる。生きていくため、次の夫を求めるのは当然のことである。無論、当時儒教は庶民に普及している訳もなく、仮にそうだったとしても、教えなど糞喰らえ、といったところであろう。
夫婦になってつうの言う、強き男子を、という言葉に別の意味が含まれていることに気がついたのは程なくしてからである。
決まり文句は、はよう作左部家に後継を、である。その結果、次々に三人子供ができたが、どういう訳か皆女子であった。その都度つうの、ええぃ、口惜しや、も決まり文句になった。だが口には出さぬが、豪右衛門にとって男の子ならば、いずれ戦場で命のやり取りをせねばならなくなるという思いがある。知らず知らずのうちに無常観を抱くようになっていた。それに対して、わが娘たちの可愛さは天女かと見まがうほどである。つうはまた身ごもると、今度こそ後継の男子をと意気込んでいる。豪右衛門は口には出さぬが、また娘なら良いのにと、密かに女子の名前をあれこれと考えていた。舅の孫市郎はすでに亡くなっており、今では作左部家の紛れもない当主である。だが、豪右衛門は面と向かって、つうに、あれこれ言えぬのであった。この六年間で豪右衛門はひどい恐妻家になっていた。実際、つうは目端が利き、頭が良い。美人はお淑やかで、なにごとも控えめであるという先入観念はものの見事にひっくり返され、諸事万端、口うるさく豪右衛門にああしなされこうしなされと尻を叩いて指示を出す。何を言いやがると思ったが、その都度先見の明に豪右衛門は舌を巻く。例えば早飯大食いである豪右衛門は、めざしや香の物をおかずに玄米をもりもり食う。すると、つうは父孫市郎の受け売りであろうが、しっかりとよく噛んでお食べなされ、さすれば身の為になりいざ合戦の時には力が入るものです、と作左部家の家訓と言わんばかりに咎め諭す。さらに部下になった足軽との付き合い。どこかで配下の者らと呑み、酔った勢いで我が家に連れ込んだ時つうは、「ここに来たからには親元に来たと思し召しなされ」とにこにこ顔で接待する。が、皆が帰った途端、「お前様、家には乳飲み子とまだおしめが取れぬ娘がおりますのよ。その為に日頃から渡してある懐の銭をぽんとあげて、自分はお帰りなされ。そのほうが皆から太っ腹と男が上がりましょうに」と角を出す。更にはどこで情報を仕入れたのか、「近頃、お館様の草履取りから足軽頭になられた木下藤吉郎と言われるお人がおるそうな。お前様も追い抜かれぬようお励みなされ」とはっぱを掛けられる。豪右衛門もお館様に、猿と呼ばれている小柄で禿げ鼠のような藤吉郎の顔は見知っていた。それも近頃どうたらし込んだのか、おねと言う名のずいぶん年下の可愛い未通女娘を嫁に迎えたという話は聞き知っていた。それゆえ、おのれ藤吉郎め、と発奮し手柄を立て、足軽大将になったのである。つうに褒められるかと思いきゃ寝屋で、「これに慢心せず、次は侍大将を目指してくだされ。まずはなによりも、ささ、はよう後継をもうけねばなりませぬ」としっかりと釘を刺され、近頃厚みを増してきた腰を押し付けてきた。そしてまた、つうは四人目を身ごもった。いわば、豪右衛門はつうの操り人形と言っても過言ではない。単なる荒くれ男だった豪右衛門の首根っこをしっかりと抑えていたのである。従って、つうと顔を合わさぬ戦場が豪右衛門にとって唯一息抜きの場といってよい。


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