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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第9回   9
鴻池が惣左衛門と祠の前でなおも佇んでいると、ふと背中に視線を感じた。ぎくりとしたが、すぐには振り向かず、素早く思考を巡らした。
―私の後ろには他の人はいないはずだ。誰かが見ているとすれば、建物からだろう。後ろは…、あっ、娘の久子の部屋だ。 祠は娘の部屋からすぐ傍であることに気がついた。だが鴻池はなおも用心深く様子を伺った。すると、その視線はだんだん強く感じられてきた。未だかつてこれだけのものを感じたことはなかった。その異様さに、これは人間のものではないかもしれない、と思ったほどだ。鴻池はごく自然を装って、ゆっくりと振り向いた。
その視線の先には、久子の部屋の出窓からガラス越しに鴻池を見つめている、たまの深緑の目があった。たまは、目が会っても逸らすことなく挑戦的ともいえる妖しい眼差しでじっと鴻池を見ていた。鴻池も見返したが、徐々にその美しい目の中の深緑の海に吸い込まれそうになっていく錯覚を感じた。ふらっとなり、海の底に引きずり込まれそうになったとき、「鴻池さん、どうしました」と言う惣左衛門の声で我に返った。
「あ、いや」と言ってまた窓を見たが、すでにたまの姿はなかった。
家の中に戻り登美とふきに確かめてみると、二人共これまでお参りはするが祠の中に入ったことはなく、掃除などは弥八の仕事だということである。勿論、久子お嬢様は中に入ったことはありません、と口を揃えて言ったが、二人が知らぬ間に入った可能性がある。弥八に訊くと、祠の中を掃除したのは三日前だと言った。惣左衛門の娘が居ないと騒いだのは二日前である。その間、外から他の女性が屋敷を訪れてはいないということだ。そうなると、奥さんの菊江はほとんど寝たきりのようなものだから、娘の久子しかいないことになる。多分、あの黒猫も一緒だろう。どのような理由かは分からぬが、単なる遊びとは思われない。それにしてもと思う。向かい合った時の黒猫の姿は美しかった。深窓の令嬢という言葉があるが、深窓の令猫とでもいいたくなるような侵しがたい雰囲気を漂わせていた。鴻池はそう考えると、何やら得体の知れないものに引きずり込まれていく自分に、漠然とした不安を覚えた。だが、それはこれから起こる恐怖に巻き込まれていく序奏に過ぎなかったのである。


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