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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第69回   69
「次の日の夕方、磐乃様は力尽きたように炭焼小屋でお亡くなりになりました。その時私は磐乃様を憎いあの男の元へ返す気はもうとうありませんでした。ご遺体はさらに奥にある作業小屋まで一人で運び、荼毘に付しました。骨を骨箱に収めると遺品になった翡翠の数珠と共に、私が大事に保管したのです。その後、波次郎がどうしているのか気になり、適当な理由を作って屋敷に様子を見にゆくと、案の定、磐乃様の失踪ということで大騒ぎになっておりました。その時、不思議なことがありました。磐乃様が可愛がっていた黒猫のたまが庭の片隅の草叢で、死んでいるのを発見したのです。他の方々は全然気がついていない様子なので、私がこっそり運び出し、同じように荼毘に付し、磐乃様と共に保管しました」耀蔵はそう言うと、震える手で手を合わせた。惣左衛門は落ち窪んだ眼に涙を浮かべている年寄りの、磐乃への狂おしいばかりの愛情を慮った。
ところが、それから三年後の或る深夜のことである。磐乃を不幸のどん底に貶め死なせた、波次郎が耀蔵の家にやって来たのである。危ない連中に追われているとのことだ。無精ひげの顔は青ざめ衣服も乱れ汚れていて、往年の二枚目ぶりは見る影もなかった。 
「頼れるのは、あんただけだ」と虫のいい事を言ったのに、怒鳴りつけて追い返してやりたかったが、あの妾の家で、波次郎が磐乃様に何を言ったのかが知りたかった。そこで、炭焼小屋に匿うことにした。酒と食料を用意し、呑ませ食わせた。波次郎は腹が満たされ、酔うほどに口が滑らかになった。息子の波夫に一目でもいいから会いたい、と言うことを盛んに口にした。
「梅奴さんを随分とお気に入りだったようですね」
「ああ、あいつは気さくで気の置けないやつだよ。一緒に居ると、ほっ、とするのだ。それに、偶然なことだが俺の故郷の隣り村の出でね。俺は村を大嫌いだったのだが、こうなれば一旦帰って一から出直しだ。その時は波夫とあいつを呼び寄せ親子三人で暮らそうと考えている」と波次郎の言葉に耀蔵は強い怒りが湧いてきた。それを辛うじて抑えると、「磐乃さんとのことはどうだったのです」と、さり気なく訊いた。
「ああ、あんなのちょいと顔や容姿が綺麗なだけだよ。ただ生真面目で肩が凝るだけだ。いつも俺を監視しやがる、鼻持ちならなかったよ。あいつはどこか得体の知れないところがあって、よく訳のわからぬ何かを祈っていたが、不気味に感じる時があったものだ」と悪し様に罵った。洗練された身のこなしと物言いで評判だった仮面を剥いだ波次郎の真の姿だった。耀蔵が、ぶん殴ってやろうかと身構えたとき、波次郎は酔いが回ってきたのか、耀蔵が知りたかった核心を喋りだした。
「いつだったか、梅奴と波夫と居た時、いきなり押しかけてきてな。さあ、家に帰りましょうと言うのだよ。俺もいきなり押しかけられて、波夫や梅奴に対して見下げた目付きで高圧的な態度をとるものだから、俺も、かっとなり、石女のところに帰るものか、悔しかったら俺の子供を産んでからいえ、と怒鳴っててやったのさ。そうしたら、磐乃の奴、大きな悲鳴を上げやがって飛び出して行ったのだ。それから行方知れずさ」という波次郎に対して、磐乃を崇拝していた耀蔵は強い殺意を抱いたのである。


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