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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第67回   67
空山とつるを見送った後、磐乃はどこで死んだのか、波次郎はどうなったのかという問題は残ったが、ひとまず事件解決という事になった。後は残務整理のようなもので、古平の禅源寺の老婦人から委託された磐乃の遺品を返還するだけであった。
次の日、その準備をしていた鴻池の事務所に惣左衛門から電話があった。すぐ会社に来てくれというものだった。駆けつけると、高田不動産の高田耀蔵の容態が非常に悪く危険な状態との、息子の耀一からの連絡だった。耀蔵が死ぬ前にどうしても惣左衛門に話したいことがあるということだ。高田耀蔵の自宅は、奥沢町というところに有り、勝納川の川沿いにあった。川を下っていけば信香町に行き着く。家の中に案内されて寝室に通された時、惣左衛門は伏せっている耀蔵を見て驚いた。小太りの丸い顔だったのが、頬骨が目立つ程の激痩せになっていたのである。耀一に助け起こされて座椅子に身体を預けると、人払いのため自分の家族を下がらせた。耀蔵は鴻池を見て怪訝な顔をしたが、今回の黒猫と磐乃の件で彼なくしては解決しなかったと惣左衛門が言うと、察したのであろう、直ぐ了承した。
「私の身体はもういけません。ひとつ、まことに身勝手ながら、このことは他言無用で、私の家族にも黙っていただけないでしょうか。その代わり、嘘偽りなく真実のみを話します」と、哀願するようにして切り出したのである。
惣左衛門は耀蔵の言葉に、目を瞑りしばし沈黙したが、「分かりました、そうしましょう。鴻池君もいいですね」と静かに言った。 「はい…」鴻池も惣左衛門の覚悟に答えた。
高田耀蔵は時折咳き込みながらも、驚くべきことを語りだした。
不動産業を営んでいる父親の耀吉に将来の跡取りとして連れられていき、耀蔵が磐乃に初めて会ったのは、中学生の時だった。磐乃の父親の福右衛門が娘の為に大きな屋敷を造るべく、土地を斡旋したのが事の始まりである。磐乃は高等女学校を出たばかりで、耀蔵より四、五歳ほど年上である。耀蔵は世の中にこれほど美しい女性がいたのかと思い、会った時から恋し憧れた。父の耀吉は実直なところを福右衛門に気に入られ、屋敷の建築についても差配を任されたのである。このような状況から磐乃とはしばしば会う機会があった。だが、多感な少年の淡く切ない思いは直ぐに砕け散ってしまった。磐乃の婚約者、中岡波次郎の出現である。どう転んでも太刀打ちのできない二枚目であった。
「その波次郎と磐乃様は仲睦まじそうにしていました。無論、私は子供ですし、遠くから見守るだけで何も出来る訳もございません。だが、思慕の情はやみがたく、陰ながら見守ることにしたのです」と言うと耀蔵は、少し涙ぐんだ目を二人に見せた。それから十年余りの月日が経ち、耀蔵も病気の父親に代わり、商売を切り盛りする青年になっていた。商売上の話以外にも、波次郎の女遊びなどの悪い噂はいくつも耳に入って来ていた。
「そのような時、当の波次郎から借家を探してくれとの話があったのです。直ぐに、ピンときました。仕事柄、繁栄している小樽では、資産家が妾を囲うための家の周旋は日常茶飯事でしたから。案の定、そのものずばりでした。相手は梅奴と言う芸者で、すでに身重の身体でした。いえ人となりは悪くはありません。ただ、気さくなお方でしたが器量良しというわけではありません。磐乃様という聡明で稀に見る美人の奥様がおられるのにと、内心思っておりましたが、残念ながら磐乃様にはお子様がございません。嫌々ながらも男の気持ちも分からないではありませんから、その時は磐乃様を不憫に思いつつ、借家を周旋しました」と言うとと、「波次郎の奴!」と唇を嚙み毒づいた。 


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