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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第66回   66
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数日後の朝、山形県の羽黒山に帰る空山を見送るために惣左衛門と久子の親子と鴻池は小樽駅のホームに立っていた。野上つるは空山に付き添いの為、同行する。
鴻池は昨夜、惣左衛門の屋敷で帰郷する空山の為の宴を思い起こしていた。空山とつるは、あの夜六芒星の中で起こったことは磐乃が目まぐるしく鬼女と美しい女に入れ替わった事と、白い閃光を見たと同時に気を失った事だけだと言った。その事以外何も覚えていないと言う。鴻池が見た、男のような光の人影は見てはいないようだ。無論、惣左衛門と久子に至っては既に気絶していたから見ることはない。鴻池も見たといっても夢かうつつの様な気もしないではなかったので、あえて黙っていた。だが、あれは一体何者だったのであろうかと、考え続けていた。磐乃の父親の福右衛門だったのだろうかと考えたが、そうではなさそうだ。ふと、鴻池の頭の中でインリという言葉が浮かんだ。ユダヤ・キリスト教において、稲荷の元々の本当の意味である。すると、磐乃の思いが通じイエス・キリストか降臨したのか、と考えられなくもないが、ここは日本でエルサレムではない、あまりにも突飛過ぎると思い、心の中で首を振った。永遠の謎、という事にしようと、ひとり苦笑いをしたのである。ただ、鬼女に成り果てていた磐乃の怨霊には、自業自得とはいえわずかながら同情も無い訳ではなかった。惣左衛門に我が子を水子にされてしまった復讐の為に、鬼女になってしまったと考えられるからである。哀れな女だと思った。
空山によると、あの後、屋敷内に不気味な霊気は全然感じられなくなったと言った。磐乃の怨霊は消滅したことになる。宴の時の空山は既に好々爺に戻っていた。あの朝、早々に戻ってきた登美たちは、空山の正体は知らない。それよりも久子が正常で普通の女の子になっていた様子にに、乳母であった登美は非常に驚き、かつ泣いて喜び、空山が関係しているのだろうと、ひとり合点して下をも置かない態度で恭しく接したのである。
宴たけなわの頃、惣左衛門は空山に尋ねた。
「空山導師は世の中に対して、欲のない淡々とした接し方をしているように見受けられますが、どのような信条でおられるのですか?」
「うむ、この世で自分のものは、食べたものと見たものだけじゃよ、後は無い」と言うと、からからと笑った。だが、ふと一瞬だが寂しそうな表情を見せ、鴻池を見た。
「わしは君の手紙を読んで、わしの死に場所を見つけたように思ったのだよ。わしの集大成のつもりでおった。だが、結果はご覧の通り、何も出来なかった。君の死を賭した決断に感服するだけじゃよ」と言うと、今度は柔和な表情になり、ゆっくりとまた笑った。
「私が導師の教えを守らず短気を起こしたばかりに、申し訳ない」と言う惣左衛門に、「いや、それは織り込み済みじゃった。磐乃の真実の姿を現した時が勝負だと思っておった。その為、わしがどうなろうとも良いと思っておった。だが、所詮呪文だけでは対峙することはできても、撃退することは出来なかったということじゃ。わしの驕りで限界があったということで、今を生きている人間の活力には適わんということ。むしろ惣左衛門さんには済まなかったと思っておる」と空山は言い、惣左衛門に深々と頭を下げた。惣左衛門はそれに対して、自身の過去の過ち、更には息子二人が嘗ての自分と同じ過ちを犯そうとして事件の発端になったことに、返す言葉がなかった。そのことに対して空山も鴻池も何もいわなかった。何かいおうとした惣左衛門に空山は、「この世は不条理である。娘さんの為にも前に向かって生きなされ」と優しく諭すように言った。惣左衛門は一度目を瞑り、思い直したように、「そうすると、空山導師、鴻池君は私と久子の生命の恩人という訳ですな」と言いながら、親しみを込めて空山、鴻池に酒を注いだ。


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