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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第65回   65
鴻池は惣左衛門が中に引きずり込まれたら殺されると思ったが、そうではないと考えた。今朝、空山が言っていた、磐乃は陽で陽を殺そうとしているのだ、という事に思い当たった。このまま自分も一緒に結界の中に引きずり込まれたら、磐乃に操られ、空山とつるを殺すことに加わされるだろうと確信した。磐乃の怨霊は初めから自分たち二人の存在を知っていたか感じていて、惣左衛門を怒らせ、それを狙っていたのだ。絶体絶命だった。その時、インリ様にお祈りしている、と言った磐乃の言葉が鴻池の脳裏を過ぎり、閃くものがあった。一か八かの賭けである。 「つるさん、弥勒菩薩を私に渡して!」と叫んだ。この瞬間に鴻池を守っていた空山の法力は消滅し、自信の姿を磐乃に晒したことになる。鬼女の血に染まった目が鴻池を捉え、不気味に笑った。と、つるは鴻池の真意を察し、慌てて箱から弥勒菩薩を取り出し掴むと鴻池の元に走り寄った。鴻池が右手でそれを受け取るのと、惣左衛門諸とも結界を超え六芒星の中に引きずり込まれるのとが同時だった。鴻池の目の前に恐ろしい鬼女の顔が迫った。その前面に、長年磐乃が所有し信仰してきた弥勒菩薩を突きつけたのである。
「!……」 鬼女となっていた磐乃が声にならない叫び声をあげた。この弥勒菩薩は磐乃の信仰の源である。磐乃の怨霊は激しく動揺した。すると、ゆらゆらと揺れ動いた後、美しい磐乃に変わったのである。だが、またゆらゆらと揺れ恐ろしい鬼女に変化した。しかし、また磐乃に戻ったかと思うと鬼女になるという事を繰り返した。磐乃の中で、生前の自分を厳しく律していた頃と、鬼女になった今とが激しく交差し混乱しているようだ。苦悩している磐乃の怨霊であった。その時鴻池は、強力な霊力に意識を失いかけながらも不可思議な光景を見にした。鴻池が右手で握りしめ磐乃に突き付けていた弥勒菩薩から何か薄らとした光が発せられたように思われたのである。それが徐々に広がっていき、ついに男性らしき人影になり、磐乃を抱きかかえたように見えた。その光の人影は磐乃に何かを語りかけているようにも見えた。すると磐乃は徐々に生前の美しい姿に戻っていった。完全に以前の賢く聡明だった磐乃に戻った時、光の人影に対し恭しく畏敬の念を込めた表情になると素直な様子で頷き、光の人影に一言二言何か囁いたようだ。それに対して光の人影は頷き返した。すると、磐乃は慈愛に満ちた表情で傍らの久子に手を添え愛おしむように撫ぜ抱きしめると、「さようなら」と言い、また光の人影に寄り添い、一瞬閃光を放つや二人共、ふっ、と消えたのである。そこまで見て、鴻池は気を失った。
どの位経ったであろうか、ふと、鴻池は目を覚ました。障子越しから入る陽の光で部屋は随分と明るくなっていた。外から、「チッ、チッ、チッ」と雀の鳴き声が聞こえていた。朝を迎えていたのだ。部屋を見渡すと傍らに惣左衛門、久子、少し離れてつる、そして空山の皆々が倒れていた。だが、全員わずかに呼吸をする動きが見られ、死んでいる訳ではないようだ。鴻池はしばらくの間その有様ををぼんやりと見ていた。そして、自分は生きていると感じた。助かったのだと、あらためて思った。そうしている間に誰もが気がつき、のろのろと起き始めだした。そこで奇跡が起こった。惣左衛門と久子は抱き合うように倒れていた。惣左衛門が目を覚まし、久子を抱き起こしたときである。久子が惣左衛門を見て、「おとうさん…」といったのである。驚愕した惣左衛門は娘をまじまじと見た。正気に返った顔だけではなく、ごく当たり前の十二歳の娘の表情だった。普通の正常な人間に生まれ変わったのだ。「久子!」というや、惣左衛門は強く我が娘を抱きしめた。「おとうさん、痛い、痛い」という久子に、「ごめん、ごめん」と言いながら、惣左衛門は嬉しさで泣き笑いの表情になった。


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