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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第63回   63
陰が漂う磐乃の怨霊は空山をじっと見た。だが、空山はかまわず呪文を続けた。「オン・マリシ・エイ・ソワカ…」 その呪文に磐乃は、六芒星の中をゆっくりと能を舞う様に彷徨い漂いだした。その磐乃の美しい横顔は哀しみに満ちているかのようだった。そして、磐乃が空山に静かに語りかけた。だが、声を発した訳ではない。その心の中に語ったと言ってよい。それに対して空山も印を結びながら磐乃に答えているが、同様に声を発しなかった。不思議なことに、その言葉のやり取りは部屋にいる人間すべてに聞こえたのである。つるは陀羅尼を唱え続けていた。
「空山よ。何故、私を放っておいてはくれぬのです」
「そなたは多くの人間に取り憑き取り殺しておる。捨ててはおけぬ」 
「私の妨げになるのを、取り除いたのみ」
「いかなる妨げじゃ」
「ここを安住の棲家としたいがため、邪魔するものは取り除く」
「そなたは既に亡くなっておる。もはやここは住むところではない」
「ユダヤ・キリスト教において死後の世界はありませぬ。肉体は滅ぼうとも魂は復活し、祈りにより永遠の魂を手に入れるのです」
「偽りを申すな、ユダヤ・キリスト教においては現世で善行を成し遂げた者のみが、永遠の魂を得るのであろうが」
空山のその言葉に、磐乃は思わず唇を噛み怯んだが、空山を睨み据えた。
「そなたは罪もない惣左衛門殿の息子を二人も取り殺したであろう。ユダヤ教において悪行を重ねれば地獄に落ちて行くのではなかったか」
「違う。あの二人は純粋無垢な久子をしばしばからかい虐め、さらには私たちの大切な祈りを妨げたのです」 その言葉には強い咎めの響きがあった。 
その言葉に惣左衛門は少なからず衝撃を覚えた。 ― 武彦、龍彦が久子を虐めていただと、馬鹿な。 だが、思い当たらぬ節がない訳でもなかった。
息子たちが元気に遊びまわっていた頃のことである。或る日、武彦、龍彦が久子の部屋から、歓声を上げて出てきたことがあった。惣左衛門は元気な息子たちが騒いでいるだけだと思い、「こら、廊下を走るな」と言いながらも活発な息子たちを好ましい目で見ていたのであるが、部屋に入ると心なしか久子がしょんぼりとしているように見えた。だが、普通の子供ではない久子がこのようになることはしばしばあった。そのことから、別に気にとめなかったのであるが、このようなことが時折あった、と今にして思い出したのである。
「からかい辱めたとは何か?」と、更に空山は磐乃に問うた。
「久子の大切にしていた人形を取り上げ壊し、また、ゆっくりとした動作を常日頃から、のろまなどとからかい小突いたりしたのです」
「私たちの祈りとは何か、どう妨げたのか?」
「私は永遠の魂を得る為、久子にはこの世の幸福を得させたいが為、祠においてインリ様にお祈りしていたのです。それをあの二人は悪戯半分で突然入ってきて騒ぎ、燐寸で御札に火を点け、神殿を燃やそうとしたのです。神聖なる場を汚した為、最初は武彦を懲らしめたのです」


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