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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第60回   60
 その夜半の事である。同室になった惣左衛門と鴻池は、眠りにつくまでの間、これまでのあらましを話し合ったり、空山導師の印象を語り合ったりして過ごした。そのことから、鴻池は惣左衛門も秦氏や霊魂に関して色々調べていることを知った。二人はようやく眠りについたが、惣左衛門は何年かぶりに酒を飲まない日を過ごしたことになる。その為浅い眠りであったのか、ふと、目を覚ました。だが、思いのほか部屋は明るかった。隣で寝ている鴻池の顔の輪郭もはっきりと見えた。顔を横に向け窓を見ると、カーテン越しに陽が差しているようにも見えた。もう夜が明けたのか、と思い、少し布団の中でじっとしていたのであるが、またひと眠り出来そうにもなかったので起きて、部屋の障子を開けようとした時だった。突然腕を掴まれ、後ろに引っ張られたのである。すわ、磐乃か、と思い振り向くと、暗がりだったが真剣な表情の鴻池だった。鴻池は顎で前を見ろという意思表示をした。また、前を見た惣左衛門はぞっと、鳥肌が立った。そこには、廊下の豆電球の薄明かりに照らされた障子に女の影が浮かんでいたのである。真夜中であるのに朝方であると錯覚させ、惣左衛門を部屋の外に引っ張り出そうとした磐乃の亡霊であった。その影は足音もなく部屋の前をゆっくりと行き来していたが、諦めたのか、ふっと消えた。目を見開いていた惣左衛門はそのまま後ずさりして布団の上に倒れこみ、しばらく激しい恐怖で、はあはあ、と、肩で息をしなければならなかった程だ。鴻池の説明によれば、物音で目を覚ますと、夢遊病者のようにふらふらとしている惣左衛門が見えたと言った。それを聞いた惣左衛門は自分が殺されそうになったのだと、今度こそ身体が震え続け、容易に止めることができなかった。こうして惣左衛門と鴻池は凄まじい磐乃の妄執を目の当たりにした恐ろしい夜を体験し、その後一睡もせずようやく本当の朝を迎えたのである。
二人からその話を聞いた空山は、つるに何かを囁くとすぐさま久子の部屋に向かった。部屋に入ると、たまは隅の方に踞って居たが、空山を見るやいなや、毛を逆立てながら激しく唸ったのである。嘗て、鴻池が深窓の令猫とまで思はせた優美な姿はなかった。空山はかまわず、たまの反対側の隅で座禅を組むや印を結び、「ノウボバギャバディ・タレイロキャ・ハラチビシシュダヤ・ボウダヤ・バキャパテイ…」と仏頂尊勝陀羅尼(一切の厄災は消滅するという呪文)を唱えだした。たまは唸るのみで手も足もでないようだ。すると、つるが羽黒山から持参した三本の燭台を正三角形状に配置し、その真ん中に座布団を敷いた。更に、部屋の上座にあたる位置に霊符を貼ると、下座の両隅に三角形状に霊符を貼った。今度は下座に貼り、同様に上座の両隅に貼ったのである。それが済むと空山は厳しい顔付きで、たまに向かって、「中に入りおろうー」、と命じたのである。驚いたことに、たまは怯えた様におとなしく従い、座布団の中に踞った。そこで空山は、何やら呪文を唱えると、「喝!」と驚くような太い声で一喝するや、たまは死んだようにぐったりとなったのを見て部屋を出た。部屋の外で一部始終を見ていた惣左衛門と鴻池は、空山の後を追い応接間に入った。空山は目を瞑り少しの間息を整えているようだったが、目を開けた時、元の好々爺の表情に戻っていた。


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