翌朝、惣左衛門は会社に着くと直ぐに、高田の事務所に電話を入れた。だが、電話に出たのは、同じ事務所で働いている高田の息子の耀一だった。以前、二度ほど会っていて、父親と似たような体型の二十代後半の実直そうな青年である。 「お父上は?」 「はい、昨日から熱を出して床に臥せっています」 「えっ、そうですか。何か言ってはいませんでしたか」 「いえ、何も。何かあったのでしょうか、そちら様から帰って来たとき、酷く怯えていたようで。あのような父を見たのは初めてです」 「いえ、私も分かりません。仕事の話をしていたら、急に熱が出たとかで、帰られたものですから。仕事の話も途中でしたし気になりまして電話をした次第です」 「ああ、そうなのですか、それは失礼しました」 惣左衛門は、耀一の話しぶりから、高田は昨日の件は息子にも話をしていないようだ、と感じた。 惣左衛門は、この様子からして高田から真相を聞き出すのは容易なことではないと思い、こうなれば独自に調べを進めるしかないと、腹をくくった。すぐに興信所に電話を入れ、所長の鴻池庄太郎を会社に呼んだ。一時間ほどしてカーキー色のコートを靡かせ、一見、飄々とした印象を人に与える四十歳前後の鴻池がやって来た。 「いや、約束の期日前なのに急に呼び立てて済まなかったね」 じつは、すでに鴻池には以前の屋敷の所有者や稲荷の祠などについて調べを依頼していたのである。 「いえ、それは構いませんが、どうなされたのです?」 「うん、この間依頼した件のことだがね、私ら家族が住む前に、あの家でどのような事が有り、それまで住んでいた人がどうなったのかということを、金はいくらかかっても構わんからできるだけ詳しく調べてもらいたいのだ」 「ほう、それはまた」 鴻池は惣左衛門の真意を推し量るように、あらためて惣左衛門の表情を覗った。 惣左衛門は鴻池の疑義の眼に答えることなく、「一度、家に来てくれ、そのとき話したいこともあるから」と言った。 鴻池は承諾すると、概略ではあるがと断りを入れて、これまでに調べてきたことを話しだした。それによると、積丹半島にある古平町の羽倉福右衛門という大網元が明治二十年代の終わり頃、磐乃という一人娘の別荘として建てたということだ。婿養子を取ったが、どういうわけか明治期の末に磐乃が行方知れずになってしまったらしい。それからは家業も振るわず、三年ほど後の大正の初めに没落してしまったということだ。その後、大正三年から大正十二年末まで小樽運河建設(幅四十メートル、長さ千三百十四メートル)に従事している技師達のために借り上げられた後、呉服商で財を成した新井巻衛門という商人が昭和の初めに入った。お稲荷さんを勧請したのはこの人物といい、入居して一、二年ほどだということだから十数年前ということになる。だが財政的に困難な状態ではないのに、これも十年余りで引越ししてしまい、そうして惣左衛門一家に至ったということである。
|
|