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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第58回   58
「かくいうわしも石川県小松市の出でな、苗字は八田で秦氏の末裔なのだ。その為興味を持ち調べた訳じゃ。同じ末裔が悪さをしておる、捨てておくわけにはいかなんだ、この命に代えてもな」と言うと、空山は何故か、ふっと笑をもらした。
 「空山導師、弘法大師が入滅される際に、弥勒菩薩と供に下生し衆生を救うと誓願されたと、知り合いの真言宗の僧侶に聞き及んでおります。その通りなのでしょうか?」惣左衛門が尋ねた。鴻池は思いがけない惣左衛門の言葉に、真実を知りたいが故に、この人も伝手を頼って調べていることを知った。それに対して空山導師は、「左様、真言宗と深いかかわりがありましてな。大師様も一緒にこの世を救済されたと願っておられたのでありましょう」と空山は答えたが、鴻池は一瞬であるが空山の言葉に澱みがあったのを見逃さなかった。空山は稲荷神社の秘密を知っていると直感がはたらいた。 
鴻池はこの時空山の話から弘法大師自らが稲荷神社に土着信仰が結びつき、狐が神の使いとして登場したのをさいわいに、あるいは弘法大師が意図的に創作したのかもしれなく、ごく自然に巧妙な方法で全国に流布させ景教から五穀豊穣の神社に変えていったのではないかと疑った。何故なら、密教には絶対の存在として大日如来がある。ユダヤ教の唯一神ヤハウェイがあっては困るのである。恩ある秦氏を裏切ったのかも知れないと思った。そのことは磐乃も当然知っているだろうから猶のこと、ひたすらユダヤ・キリスト教にのめりこんでいったのではないだろうかと、強い磐乃の反発を慮った。だから空山も放ってはおけなかったのではないのか。空山に対して、その疑問を問うことはなかったが、磐乃の想いがわずかながら分かるような気がした。それにしても、秦氏がこれほどまでにも日本文化の精神史に深い影響を与えていたとはと、あらためて考えさせられた。鴻池があれこれ考えていたら、「空山導師、何故、高野山を出て修験者の道に入られたのです」と惣左衛門が訊いた。
「うむ、大師様は顕教(衆生を教化するために、秘密にすることなく明らかに説き顕した教え。華厳経、法華経など)より密教(真理そのものの奥深い教えである故に、容易に明らかにできない秘密の教え。大日経、金剛頂経など)の優位性を説いたが、本当のところ、寺に籠っていては分らないと思ったからじゃ。大師様自身も唐に渡る前、七年間四国で厳しい修行をなされている。この国には古来より、自然と結びついた山岳信仰があるが、そこには多くの民の畏敬の念があり、宗教は一般民衆との関わりこそが大事である」と、空山が答えた時だった。
「旦那様、大変です。お嬢様が、お嬢様が」と、乳母の登美が血相を変えて応接間に駆け込んできたのである。 「なに、久子がどうしたというのだ」と言いながら、惣左衛門はすぐさま久子の部屋に向かった。鴻池とつるもそれに続いたが、空山は何故か動かず、瞑想に入ったのである。
 惣左衛門たちが久子の部屋に入ったとき、驚くべき光景を目にしたのであった。久子が、ワッショイ、ワッショイと言いながら、部屋の周りをぐるぐると回っていたのだ。
「久子!」  惣左衛門が娘の二度目の言葉を発したことも忘れ思わず叫ぶと、久子は一瞬振り返り、崩れるように倒れたのであった。鴻池はその時、久子の目は明らかに狂っていて、狐憑きにあっていると感じた。同時に、たまの姿を追い求めていた。そのたまは、部屋の片隅にうずくまり、挑戦的な目でこちらを見ていた。鴻池は思わず、久子を操っているであろう、たまに姿を借りた磐乃の怨霊に強い憤りを覚え思わず飛びかかろうとしたとき、つるに腕を強く掴まれた。見ると、つるは強くかぶりを振っていた。


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