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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第56回   56
 事務所に行くと生憎惣左衛門は外出していて、帰りは昼過ぎになると事務員がいったので、鴻池は霊符を持って山田町の棟梁の家に向かった。この時には会社の修繕は全て終え、惣左衛門の離れの間造りの段取りに取り掛かっているはずだった。着くと夫婦で出てきたがおかみさんの秀子は四日前より幾分痩せた感じである。聞くと、やはり毎日悪夢が続いているとのことだった。棟梁が梵字で書かれている霊符を空山の指示した方向に貼ると、鴻池は明日また来てみると言って惣左衛門の事務所に向かった。棟梁の家に明日行くといったのは、実際に効き目があるかどうか空山の力量を確かめたかったからである。
 惣左衛門の事務所に戻ると、惣左衛門は帰っていた。妻の菊江の容態が芳しくなく見舞いに行って来た、といい、覚悟を決めなければならないだろうと、項垂れた。それでも、鴻池の古平での話を熱心に聞いていたが磐乃の写真を見せると、「この女が…」と呻くように言っただけだった。磐乃の怨霊に二人の息子を殺されただろうという無念の思いが過ぎったのだろう、と鴻池は感じた。野上つるが空山を伴って帰郷する事には、空山の宿泊先は自宅の離れを提供したいと申し出て、手配の段取りを鴻池に託した。早速、鴻池はつるに対してその旨の電報を打った。磐乃の怨霊に対して着々と手を打っていることになる訳ではあるが、その成否はつると空山次第である。鴻池はその準備の手伝いに過ぎないのだが、武者震いを感じたほどだ。
 次の日の朝、鴻池は棟梁の家に行った。すると秀子は、悪夢にうなされることもなく久しぶりにぐっすりと眠ることが出来た、と笑顔を見せた。野上つるの言うように、空山という行者は大変な人物なのであろうか、と鴻池は一刻も早く会いたいと思った。
 当日の朝、鴻池と惣左衛門は二人を出迎えるべく小樽駅のホームに立っていた。鴻池は昨日に続き今朝も秀子の様子を伺うために棟梁の家に行っていた。秀子は、「悪夢にうなされることなく乳も出るようになって、赤ん坊に飲ませることができる」と、にこにこ顔で言ったのである。怨霊を霊符一枚で防いだことになる。鴻池はその報告を惣左衛門にしていたから、二人は空山の力量は本物だと確信していた。
 列車が到着し、つると空山が駅のホームに降り立ったとき、つるは厳しい修行のためであろう、顔がそげ落ちたように痩せ細っていた。だが、鴻池と惣左衛門は空山の小柄で好々爺とした容姿に拍子抜けした思いを抱いた。思わず二人は顔を見合わせたが、「本物の人間とは見掛けで判断してはいけないね。君が調べてくれた磐乃の本質を知ってよく分かったよ」と惣左衛門はいい、二人に歩み寄って行った。
 惣左衛門の会社の車に、山形から持参した荷物を積み込み屋敷に向かい着いたときも、空山の表情は変わることがなく穏やかそのものであった。鴻池は屋敷に着くやいなや、空山が、「この屋敷は邪悪な陰気で満ち満ちている、喝」などと時代がかったことでも言い、振る舞うのかと想像していたのである。鴻池もこの時点で、空山に対して惣左衛門と同じ思いを抱いた。


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