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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第54回   54
「福右衛門さんが亡くなられたとき、奇しくも七月十七日でございましたが、これはとても意味のある日なのです。磐乃さんのまた聞きでございますが秦氏と深い関わりがある京都の祇園祭の山鉾巡行の日と古代イスラエルの祭りであるジーオン祭(旧約聖書・創世記のノアの方舟がトルコのアララト山に到着した日に由来する)の日と同じなのです。祇園祭の山鉾(山車ともいう)はノアの方舟を模したものであるとのこと。実際、幾つかの山鉾に飾られております刺繍には西洋の画や旧約聖書の絵柄や紋様が描かれているということです。
従いまして福右衛門さんが死を覚悟され、磐乃さんも同じ命日と御遺言されたのは、当然羽倉家の秘密を承知されていたからだと思っておりました。七月十七日に亡くなられたというのも、偶然とは思えません。何か意図的なものを感じておりました。あるいは福右衛門さんも伝承者であったかと考えられます。以前、江戸時代のころ磐乃さんの羽倉家だけに代々伝わっておりました伝承事が役人に知られそうになり、苦難の末に北海道に渡ってきたと聞いております。しかしながら、磐乃さんが行方不明になり、ご長男の福太郎さんやお孫さんである福一郎さんも遭難して亡くなられました。今はキリスト教徒が弾圧されることもない時代でございます。また、ロザリオも見当たらなくなってしまったのを機に全てを闇に葬ろうとお考えになったのではないでしょうか」
「そうかもしれませんね、いや、そうだと思います。弥勒菩薩、三柱鳥居、そしてロザリオの三点は、いわば三種の神器とでもいうような意味合いの物なのでしょう。磐乃さんと共にロザリオも不明となり、時代の変化で継承する意味が無くなったのでしょうね。ところで翡翠のロザリオということですが、それはどの様な物なのでしょうか?」
「それはとても美しい海のような深緑のロザリオです」と老婦人が言ったとき、鴻池はたまの目を連想したのである。瞬間、そのロザリオの化身がたまではあるまいか、と考えたが、流石に余りにも突飛すぎる、と自分で打ち消した。
 「それにしても、この日本は旧約聖書の痕跡があちらこちらに有るようですね」
「ええ、これも磐乃さんの受け売りでございますが、旧約聖書によれば、アブラハムの一人息子であるイサクを神の生贄に捧げよと命じられたのでございます。モリヤの山でまさに殺そうとなされたとき、神の御使いが現れ、神への忠誠心が分かったと、それを止めたのです。これとそっくりな話が長野県の諏訪神社にありますのよ。諏訪神社の御神体は守屋山ですが、そこのお祭りでは明治の初めごろまで、柱に縛られた少年を短刀で刺そうとしたとき使者が現れ止めた、という話が残っていたということです」
鴻池はそれを聞いて、西洋の考え方に息苦しさを感じた。日本では八百万の神がおり、仏教では数多の仏様がいる。人々はその中から好きな神や仏さまを信仰の対象にする。何と大らかな民族であろうかと思わざるをえなかった。それに対して、磐乃は西洋的な思考の持ち主で頑な性格ではないだろうかと考えた。波次郎はそれが嫌であったのであろう、と容易に想像できる。鴻池は内心身震いを覚えたが、さらに話を聞かなければならない。
「では、いまは福二郎さんが郵便局を営んでおられるのですね」と鴻池が言ったとき、古平の町まで送ってくれた郵便物を積んでいた馭者の顔が浮かんだ。今の老婦人の話から、屈折した思いで生きてきたであろうことが顔に出ていたことと、順慶和尚と同学年ということからも年齢的に符合しているので、多分間違いないだろうと思った。そのことを確かめるべく、二人に男の特徴を述べ確認すると果たしてそうだった。偶然とはいえ、まるで吸い寄せられるように出合ったことになる。何か不思議な力を感じざるを得なかった。そのこともあり、「ご母堂様にお願いしたいことがあります。磐乃さんの写真がございましたら見せてくださいませんか」と鴻池は本来の探偵の姿を取り戻したように押していった。
 直ぐに老婦人は女学校時代に一緒に撮ったものや、磐乃の結婚式に出席した時の写真を持ってきた。若い時の磐乃や波次郎の写真を見るや、鴻池は唸ってしまった。美しく聡明な女性ということでこの半年間想像してきたが、それ以上だった。気高く神々しささえ感じさせる美しさなのである。波次郎も美男子だった。以前、いま人気の某若手俳優に似ていると仲居の光子がいっていたが、それ以上だと思った。その二人を真ん中に大勢で撮った結婚写真があったが、周りは霞み二人だけが鮮やかに浮き上がっているように見えた程だ。これが磐乃にとって一番幸せな時だったのであろう、人の運命とは分からぬものだと、鴻池は後に起こった悲惨な出来事を思い、何故か切なくなった。それらの写真の中で、磐乃一人が写っているのがあったので借り受けた。
 夕方、順慶和尚が手配してくれた馬車で余市駅まで行き、小樽駅に帰り着いた時は夜もだいぶ更けていた。飲み屋からの帰りなのだろう、何人かの千鳥足の男とすれ違った。鴻池もどこかで一杯引っ掛け疲れを癒したかったが、大事なものを預かっている手前、そのまま借家に帰ってコップ酒を一杯あおりそのまま布団にもぐり込んだ。


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