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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第53回   53
 それは恩師高瀬の友人である飯岡が語ったことと、驚くほど似かよっていたのである。飯岡が語らなかったことを述べると、朝鮮半島南端にはユダ族などイスラエルの他部族もいて、その前後日本に渡来し、九州から畿内に進んだ部族あるいは出雲方面に行った部族、それぞれ日本文化形成の一翼をになった。伊勢神宮と出雲大社はそれぞれ二十年と六十年に一度遷宮の儀があるが、これは古代ヘブライ神殿が「幕屋」と呼ばれる移動式に由来している。十六世紀にフランシスコ・ザビエルによってキリスト教が日本に伝来したと言われているより千年以上前に、羽倉家の人々は五、六世紀から二十世紀までの約千五百年間に渡って、ユダヤ・キリスト教徒で有り続けていたことになる。豊臣秀吉から始まって徳川幕府によるキリスト教の禁止、弾圧を生き延びてきたことになるのだ。誰が稲荷神社を、あるいは弥勒菩薩がユダヤ・キリスト教の神と考えようか。便宜上禅宗の檀家となっていたが、数珠と称したロザリオで、隠れキリシタンと後ろ指さされることなく、堂々と祈り続けてきたのである。最後に老婦人は、自分も磐乃さんと同じユダヤ・キリスト教を信仰したかったが、親同士により婚姻を決められていて、大黒(僧侶の奥方)になる運命であった為、それは叶わなかったといった。だが、クリスチャンである林竹次郎画伯の五百羅漢図をこの寺に飾ることに陰ながら尽力することができ思いが叶ったと言い、鴻池の予想が的中したことになる。
鴻池もしばらく声がなかった。何故、稲荷神社がユダヤ・キリスト教から五穀豊穣の神へと変質していったのは分からぬが、表面的には決して現れぬ人々の営みの歴史を、ひしひしと感じたのである。そして磐乃は千五百年の長きに渡っての羽倉家の秘事を受け継ぎ、昨日の高瀬と飯岡の問答でも感じたように、本人の資質もあるが何らかの神秘的な能力を得たのではないだろうか、とあらためて考えられた。しかし、人々に禍をもたらす以上磐乃と対峙し霊魂を鎮めなければならない。そう思い顔を上げると、老婦人は鴻池の意図を察するかのように、「どうか磐乃さんの霊魂を安んじてください。この品々がお役に立てるならばお使いください」と言って頭を下げた。
「有難うございます。これらで、何としてでも磐乃さんの霊魂を鎮めたいと思います」と鴻池も思わず頭を下げ誓ったのである。
更に鴻池は羽倉福二郎から磐乃の形見を譲り受けた経緯を聞いた。それによると羽倉福二郎と、老婦人の息子である順慶和尚とは小学生の時からの竹馬の友だということだ。そういうこともあり、両家は行き来していたのである。羽倉家は網元であると共に、特定郵便局をも経営していて親類の男に任せていた。従って羽倉家が没落後も郵便局だけは残っていた。福二郎は中学校を卒業と同時に将来継ぐことを含みにそこに努めた。だが、まもなく祖父の福右衛門が亡くなり親類に対して抑えが効かなくなると、その男は自分の息子に継がせるといい出したのである。長いことその事で悶着があったが、金で解決をすることになり、ひとつ残った蔵の骨董品を売り払って金を工面した。その時、蔵の奥に仕舞われていたのが、この磐乃の形見なのであった。磐乃が失踪したとき福右衛門が小樽の屋敷から引き取ったものだということだ。それを磐乃と老婦人の仲を知っていた福二郎が、何かと世話をしてくれたお礼にと形見としてくれたのである。ただ、その木箱にロザリオは入って無かった。それがどうなったかは、福右衛門が死んだ今となっては、他の羽倉家の誰もが知らないと言い、特に関心もないようだ。従って、福二郎は羽倉家の秘密の伝承については何も知らないようである。やはり、磐乃は最後の伝承者のようであり、特殊な存在なのであろうかと鴻池は考えた。


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