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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第52回   52
「磐乃さんが失踪されたのは、夫であった波次郎氏が原因であることは間違いないところであります。しかしながら、その波次郎氏も行方不明になり、二人共、安否は分かりませんでした。従いまして、失踪された原因はなんであったかという真実を求めるすべはありません。こうなりますと、亡くなられているとしか考えられない磐乃さんに安らかに往生してもらい、久子さんを救う為には霊媒師の野上つるさんに頼るしかないのです。そこで確認したいのは、磐乃さんがユダヤ・キリスト教徒であったかどうか、もしそうなら、十字架など当時所持していたものがあるかどうかを知りたいのです。それが手がかりとなり、磐乃さんの霊魂を鎮めることが出来るかもしれません。突然訪れ長々と話をしてまいりましたが、あまりにも奇怪な話にさぞや驚かれたことと存じます。しかしながら、これは本当なことなのです。どうか、知っていることがあれば、お教えください」と鴻池は最後を締めくくると頭を下げた。
老婦人と息子の僧侶はしばらく声もなく、長い沈黙が続いた。そして、「少しお待ちください」と言い、老婦人は部屋を出ていった。その間、鴻池は僧侶に、「あまりに奇怪な話に俄かに信じられないでしょうが」というと、「いえ、朝夕の読経の御努めの時など、拙僧の周りは霊魂でいっぱいであります」といって微笑した。
しばらくして、老婦人は小さな木箱を抱えてくると、中から仏像と三角形の陶磁器、一冊の和綴じの書物を取り出した。鴻池はその陶磁器が三柱鳥居と同じ形状をしていることに気がつくや、「これは!」と思わず声を出したのである。
「はい、これは紛れもなく三柱鳥居でございます。ただ、表向きは茶道の蓋置ということになっており、初牛の稲荷神社で行われるお祭りの時に使われます」
「稲荷神社のお祭りで、ですか…」
「はい。茶道の薮内流に伝わっております。ちなみに、薮内家は三井財閥の方々と親しく、東京の墨田川近くにある三囲神社には三井邸より移した三柱鳥居があり、これは京都の木嶋神社にある三柱鳥居を模した物とのこと。何故このようなことに成ったかと言いますと、戦国時代に三井家は秦氏の分かれである近江佐々木氏から養子を迎えたからと思われると、磐乃さんがおっしゃっていました。そして、この仏像は弥勒菩薩(五十六億七千万年後、慈しみにより生あるものすべてを救う菩薩)です。京都太秦の秦氏の氏寺である広隆寺の宝冠弥勒を模したもので、見てお分かりかと存じますが、右手親指と薬指の先を合わせておりますでしょ、これはキリスト教の三位一体を表しておりますのよ。磐乃さんの説明によれば、西方のメシア(救世主)思想の影響を受けているとのことです。つまり、弥勒菩薩とは再臨のキリスト像なのです。あと、此処にはございませんが翡翠のロザリオの三点で、日々お祈りをしていたとのこと、もっとも日本では数珠と申しますが。この書物は磐乃さんが旧約聖書の重要なところやお好きな言葉を綴ったものです。これらのことは、私が女学校時代、磐乃さんに見せていただき教わったことです。そして、この品々は十年ほど前に甥子さんである羽倉福二郎さんより形見分けとして頂いたものなのです」 
鴻池は磐乃が古より代々羽倉家にだけ伝わっていた、ユダヤ・キリスト教徒であることを知った。鴻池が前日、飯岡より聞き知った秦河勝が聖徳太子の支援者であったことを口にすると、「聖徳太子は後世の呼称で、当時は厩戸皇子と呼ばれておりました。イエス・キリストは馬小屋で生まれたといわれております。ユダヤ・キリスト教徒であった秦河勝は、あるいはその連想から憲法十七条を定められ遣隋使を派遣されるなど聡明である聖徳太子を支援なさったのではないでしょうかと、磐乃さんがおっしゃっておりました」と老婦人が答えた。
「古代イスラエル族はヘブライ人と聞いておりますが、そうすると白人ではないということですか?」 「また、磐乃さんの受け売りですが、その通りです。従いまして、イエス・キリストは白人ではございません。イタリアの文化運動であるルネッサンス期において、イメージでイエス・キリスト、聖母マリアを白人として描いたのです。それがいつの間にか、今日まで定着してしまったのです。と、磐乃さんが憤慨して語っておりました。あのような磐乃さんを見たのは後にも先にも初めてでした。また、世界三大宗教である仏教・キリスト教・イスラム教には、白人の教祖は一人もおりませんことよ」
鴻池は絶句せざるをえなかった。
 そして更に、老婦人は磐乃より聞き知っていたことを話し続けた。


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