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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第5回   5
「私は大事な息子を、二人も続けて失ったのだ、何もない訳がないだろう」 惣左衛門は思わず、会社の事務員がいるにも係わらず声を荒げた。
「いえ、私は知りません、何も知りません。ああ、急に熱が出たようで具合が悪くなりました。すみません、これで失礼します」 高田はしどろもどろになりながらも一方的に言うと、惣左衛門の身体を張っての制止も振り切って逃げ帰って行った。事務員たちは、この顛末をただ、呆然と見ていただけだった。惣左衛門は、高田を追い掛けたかったが、あの様子では、すぐ聞き出すのは無理だろうと思い、娘と黒猫のことが気になり自宅に向かった。思えば娘の発した言葉は、たま、という一言だけである。新しい言葉を言うことを期待していたが、未だに無い。考えてみれば、何故、咄嗟にたまという名前を言ったのか不可解でもある。家に着くと惣左衛門は真っ直ぐに屋敷の隅角にある久子の部屋まで、走るように廊下を荒々しく足音を立てて行った。
部屋の障子を乱暴に開け放ち中に入ると、久子やたまだけではなく乳母の登美の姿もない。空の布団が敷いてあるだけで静まりかえっていた。
「久子!」 惣左衛門は一瞬、底知れぬ恐怖を覚え思わず娘の名を叫んだ。惣左衛門は家中の部屋を次々に開け探し回りだした。その物音に、登美やふき、さらには作男の弥八が駆けつけてきた。
「登美、久子は何処だ、何処にいる」 惣左衛門の怒鳴り声に、登美はおろおろしながら、「お、お部屋に、お休みになっているはずでは」 「馬鹿、居ないから訊いているのだ」 「ええっ!」 登美は一目散に久子の部屋まで駆けて行った。
「旦那様、旦那様。いらっしゃいます、いらっしゃいます」 登美の安堵の呼び声に惣左衛門も部屋に行くと、ぼんやりと布団の上に座っている久子とその横に丸まっている黒猫の姿があったのである。
「こ、これは」 惣左衛門は愕然とした。
後で登美たちが言うには、久子は一度昼寝に入ると二、三時間ほど眠りにつき、起きることはないということだった。その間部屋を離れ、各々別の仕事をするということである。惣左衛門は念のため弥八に、久子を庭で見かけなかったか、と訊いたが、見ていないと言い、庭に出るときは必ず登美かふきが一緒だと答えた。二人の息子が生きていた時は来客も多く、女中も、もう二人いたのであるが、今はその二人に暇をとらせていた。使用人はこの三人だけだった。
―確かにあの時、久子とたまは部屋には居なかった。いったい何処にいっていたというのか。あの黒猫には確かに何らかの秘密ありそうだ。 惣左衛門は一人になると、あらためて疑惑を深めていった。


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