Z 次の日の昼近く、鴻池は何日かぶりに自分の事務所に行き、二日酔いの頭痛に堪えながら溜まっていた郵便物を整理していた。昨夜は棟梁の家を辞した後、なんとも遣りきれない気持ちになり馴染みの小料理屋で深酒をしていたのだ。酒を飲むほどに、磐乃の怨霊に対して強い怒りを覚えた。何の権利があって人々を苦しめ、殺すのかと思った。なるほど、人間は欠陥だらけの生き物である、良い人間ばかりとはいえない。欲と欲がぶつかり合い、そのために互いに傷つけ合い憎しみあう、愚かな生き物であるかもしれない。だが、そうやって人々は生きてきたのだ。死んだ人間に、今生きている人間を好き勝手にされてたまるか、と思った。お前は何様だ、と心の中で怒鳴ったあたりから訳が分からなくなった。気がついたときには借家の自分の部屋で遅い朝を迎えていた。窓ガラスのカーテンの隙間から、一筋の陽光が畳の上を照らしていた。鴻池はそれをぼんやりと見ていたが、明るい陽の光というものは人間に新たな思いと力を与えるものである。二日酔いで痛む頭の中で、この身がどうなろうとも磐乃の怨霊と本気で立ち向かってやろうと決意した。 野上つるから、後、一週間ほどで帰郷する予定という葉書が来ていた。それを読んで、鴻池はいささか焦った。昨夜の宮下夫妻の話から、かなりの進展があったが、まだ幾つかの謎が残っているからだ。最大の謎は、たまの姿を借りた磐乃の霊魂が何故稲荷の祠に入ってゆくのか、だと考えていた。鴻池はそのことが一連の出来事の鍵を握っていそうな気がしていた。だが、皆目見当もつかない、というのが実状である。あと一枚、思いがけない葉書が来ていた。恩師である高瀬からであった。 [度々電話を掛けたが貴君は不在ようなので、葉書を出しました。貴君の、稲荷の祠についての疑問に答えられる可能性有り、連絡を待つ] というものである。直ぐに鴻池は、取るものもとりあえず飛んで行った。さいわい高瀬は在宅していて、すぐ居間に通された。 「先生、可能性有りとはどのようなことでしょうか?」 「うむ、私の友人に飯岡という日本古代史を研究している者がいてね。この間会って呑んだ時、君とのやり取りを話したのだよ。そうすると、三本柱の鳥居と稲荷のことに非常に興味を持ったようで、差し支えなければその女の苗字と何処の稲荷神社から勧進したのか知りたいとい言うのだ。その次第によっては、謎が解けるかもしれないということだ」 藁をも掴みたい気持ちでいる鴻池は、高瀬という人間を信用していたことと、時間も限られてきていたのでその話に乗ることにした。
|
|