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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第44回   44
「初め、眠っているたまの美しい毛並みを見ていたら、たまも気がついたようで私を見返しました。その目は本当に深緑の海のように綺麗でした。なんて素敵な目なのだろうと思い、思わず見とれてしまいました。すると、私の心がまるで吸い込まれるようにその目の中に入っていってしまったのです。そこでは、今まで見たこともない景色や変わった服を着ている人々が次々に現れては消えていきました。このことは、うちの人だけに話しましたが、ばかばかしい、夢でも見ていたのだろうと相手にされませんでした。けれども本当なのです。多分、だんだん古い時代に遡っていったように思われます。砂漠やごつごつとした岩肌のとても高い山々も出てきました。さらには、明らかに日本人とは姿かたちが違う人々が現れ、三本の柱で造られた鳥居の様なところで、聞いたこともないような言葉でお祈りをしていました。それが突然ぐるぐると回りだしたと思ったら、布団の中で寝ている自分に気がつき、同じ女中のお絹ちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいました」
鴻池は秀子の、まるで中国の怪奇小説にでも出てくるような話に呆然となってしまった。秀子の話が、作り話や夢想でないということだけは、これまでに調べてきたことから辛うじて理解することができた。だが、その意味することは皆目見当もつかなかった。
「それから、時折同じような夢を見るようになりました。また、夜中にお便所に起きた時など、廊下で何か人の気配を感じることもありました。そのような時は決まって、たまが近くにいました。だんだんたまが怖くなりましたが、まもなく大変恐ろしいことが起きました。或る日、突然に本当の奥様である千代子様が初めてお屋敷に来られたのです。その時の旦那様の慌てふためく態は見たことがありません。そして奥様がふみえさんと勇一さんを一目見るなり、全てを理解したようです。一言も口を利くことなく、たまもいる貞子様のお部屋に入りました。どのような話をなさったかは分かりません。屋敷にお見えになった時も顔色はお悪かったのですが、でも、その日のうちに帰って行かれたときは、まるで死人のような青白いお顔でした。それが次の日の朝方から、突然ふみえさんが七転八倒で苦しみだしたのです。すぐにお医者さんを呼んで手当てをいたしましたが、どうにも治りません。ようやく、夜になってふみえさんの容態が落ち着き、やれやれと思ってそれぞれの部屋に帰った途端、離れの間から、ぎやー、というふみえさんの悲鳴が聞こえました。慌てて皆が行ってみると、ふみえさんが自分の首をおさえ、あの女が、あの女がというと息絶えてしまったのです。側にいた勇一さんはというと、訳が分からずただおろおろしているばかりでした。ふみえさんの首を見ると、紐のようなもので絞められたような赤紫の跡がくっきりと残っていました。すると、隣の部屋から襖越しに、えっ、えっ、えっ…、と嗚咽のような世にも悲しげで恐ろしい女の呻き声が聞こえてきたのです。皆の誰もが、ぞっとして呆然と立ち竦むばかりでした。その時です。奥様が療養している温泉宿から、奥様が首を吊って亡くなったという電報があったのは」と言うと、秀子はその時のことを思い出したのであろう、震えながら両手で耳を塞ぎ、いやいやするように頭を左右に振るわせた。絹もそのことは鴻池に言わなかったが、ふみえと同じ思いだったのであろう。


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