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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第40回   40
次の日、棟梁は若い男を一人引き連れて仕事に係りだしたが、冬の仕事のない時期であり見積もりの価格がそのまま通ったので機嫌がいいようだった。鴻池は一服の時や弁当の時間になる度、お茶の用意を自からした。当然、すぐ親しくなったが鴻池はじっと待った。一つ一つは簡単な仕事とはいえ、何箇所もあるから雪が溶ける春まで仕事があるのだ。
そんな或る日のこと、棟梁たちが昼食の弁当を遣った後をみはらかい、鴻池はいつものように世間話をしに行った。鴻池の巧みな話術に若い弟子の方は、楽しみにしているようになっていた。今日は、嘗て鴻池が目の当たりにした霊媒師の野上つるの不思議な能力の話をした。こちらの舞台にのせる為、そろりと入っていった訳である。以前、鴻池が知人である中年女性の見舞いに病院へ行った時のこと。隣の病床に初老の女性が寝ていたが、何か悪い夢でも見たのだろう、急に唸り声をあげだした。と、向かいの病床の婦人を見舞っていた品の良い御婦人がすうーっというように近づいてくると、うなされている女性の横辺りに向かって、もう貴方はここに来てはいけません、お帰りなさい、と言いながら何やら唱えはじめると、唸り声がぴたりと止んだ。それが野上つるとの出会いだった。後にうなされた女性が言うには、いつも寝ていると枕元に半年前に亡くなった亭主が現れ、手を掴み引っ張りこもうとするのだという。その後、そのような夢を見ることは無くなったということだ。そのような不思議な類の話を語って聞かせた。
その時、いつも笑って聞いているだけだった棟梁の表情に、明らかな変化があった。反応があったな、と感じた鴻池はそこであっさりと引き上げた。あるいは奥さんの秀子に何らかの気味の悪いことが今も続いているのかもしれないと思ったが、後は棟梁の方からの働きかけを待つことにしたのだ。次の日、若い男の方がつるの話を求めてきた。乞われるままに、つるが同じように霊魂に悩まされている別な人を救った話をすると、棟梁はひとつ、ふたつ、つるの人となりについて質問をしてきた。霊媒師として本物かどうかということのようだが、かなり関心を持ったようだ。そして数日後、仕事の後相談があるから一度自宅にご足労願えないかと、言ってきたのである。無論、鴻池は二つ返事で了承した。
山田町というのは小樽市内で唯一人名を冠した町名である。明治十五年、漁業や廻船で財を成しこの辺り一帯の大地主であった山田吉兵衛が交通の便を図るため、私財を投じて入船町から色内町へ通じる道を一年かけて開削した。その道は水天宮に通じる道と交差し、そこを頂点として左右が坂になっている。その界隈は料亭などが立ち並ぶ花街である。その為,飾り師、塗り師、彫り師、さらには古着屋などが軒を並べるようになり、職人坂と呼ばれるようになって賑わっていた。宮下工務店は入船町側に通じる坂の中程にあった。
秀子は三十歳近くの、目がクリクリとしていておちょぼ口で愛嬌のある顔立ちをしていた。躰つきもやや太めで痩せぎすの棟梁とは好対照である。世間では得てしてこのような組み合わせが多い。その秀子がこのところ、毎晩同じような悪夢に悩まされているというのだ。鴻池は秀子が棟梁から仕事の話を聞き、依頼主が嘗て勤めていた屋敷の持ち主であることを知り、当時のことが蘇ったせいではないかと思った。そうなれば、数年前の体験ががいまだに強く影響していることになる。初めはなかなか内容について話そうとはしなかった秀子だったが、棟梁にせかされてようやく重い口を開いた。


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