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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第34回   34
惣左衛門にとって鴻池とのささやかな酒宴は、まことに気持ちの良いものだった。久しぶりに旨い酒を飲んだような気がした。つい、鴻池の再三固辞するにも関わらず、酔いもあって半ば強引に屋敷に泊まることを求め、承諾させた。
その夜半のことである。鴻池は渡り廊下で繋がっている、二間造りの離れの間に泊まっていた。喉に渇きを覚え、目を覚ました。枕元の水差しで喉の渇きをいやすと、尿意もあったので厠に立った。家の廊下は何箇所かの豆電球でぼんやりと照らされている。用を済ませ渡り廊下の前から部屋に帰ろうとしたときだった。ふと気配を感じ、何気なく右側の廊下を見た。誰の姿もなかったので、気のせいかと思い渡ろうとしたとき、その曲がり角に人の影らしきものが映し出されていた。誰だろうと思い、目を凝らして見直すと女の影のようだった。今屋敷にいる女といえば乳母の登美と久子だけである。登美も厠の帰りかと思えたが、そこで鉢合わせはしていない。その廊下の先は久子の部屋で登美の部屋は別のはずと気がついたとき、その影は久子ということになる。そのとき、遠ざかる影に足音が聞こえないことに気がついた。鴻池の身体に、一瞬寒気が走った。まさかと思いつつ、惹きつけられるように勝手に身体がその影を追い、その廊下の角に立ったときだった。その廊下の先にはこちらを振り返り、目が怪しく白く光っているたまの姿があったのである。たまの目は確かに鴻池をとらえていた。だが何事もなかったように、たまは遠ざかり廊下の先で黒く溶け込んでいくように消えていった。鴻池は言い知れぬ恐怖で、どっと冷や汗を掻き慌てて自分の部屋に帰った。布団に入り込むと、俄かに身体が震えてくるのをどうしようもなかった。惣左衛門の二人の息子は謎の高熱を発し死んでいる。いまでは、鴻池はその原因の元はたまの姿を借りた磐乃であると信じて疑わなかった。そのたまの怪しげな姿を目撃してしまった自分を、磐乃は放っておくだろうかという強い不安が頭の中を駆け巡った。自分は不可解な出来事の解明を依頼された探偵なのだと自分に言い聞かせ、屋敷から飛び出し逃げ出してしまいたい思いを必死で抑え堪え続けた。ついに、それから一睡もせず夜が明けた。
障子を開け眩しい陽の光を目にした時、自分が危機を脱し生きていることを実感した。
鴻池はそのことを惣左衛門には言わないことにした。つるが帰郷するまで無用の恐怖心を抱かせないためである。それまで磐乃のことを調べることが急務だと考えた。明け方まで恐怖に耐え続けることに必死だったから、今になって深夜にたまは何処へ行っていたのかと疑問を覚えた。そう考えたとき稲荷の祠のことが頭に浮かび、すぐに行ってみた。そのあたりは作男の弥八が、冬でも行き来できるようにしていた。昨日は夕方から小雪がちらつきはじめ就寝前には止んでいた。庭はその新雪で美しい。と、行き来したような小さな足跡があり、それを辿って行くと祠の前にきた。たまの足跡だと確信した。鴻池は昨年の秋もそう思われることがあったが、何のためにここに来るのか皆目見当がつかなかった。
お稲荷さんは本来五穀豊穣を司る神であり、後、商売の神にもなった。九世紀になって狐が神の使いとして登場する。鴻池の知識はこの程度を持ち合わせているだけである。たまという黒猫が怨霊である磐乃の化身だとしても、あまりにも不可解な行動だと思った。


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