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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第33回   33
その後、酒を酌み交わしながら鴻池のこれまでの調査の詳しい報告に黙って耳を傾けていた惣左衛門であったが、鬼女の出現が明治四十四年の手宮裡町の大火(被災戸数、約千二百五十戸)の年という言葉に、一瞬だが微妙に表情が変化した。小樽では明治期に幾度も大火が起きていた。これは前が海、背後が山という狭い立地条件の所に粗末な家屋が密集しており、一度火事が起きると瞬く間に燃え広がってしまうからである。最大の大火は明治三十七年五月に、後に稲穂町の大火と呼ばれたもので、稲穂町から色内町、石山町を超えて手宮地区まで達し、被災戸数が約二千五百戸という大惨事だったのである。惣左衛門には人に言えぬ幼い頃の出来事があった。惣左衛門が六、七歳の時のことである。当時、関川という竹馬の友がいた。よく一緒につるんで、探検と称して遠くに出かけては悪ふざけをして遊んでいた。或る日、その関川が燐寸を持ってきた。或る路地裏で、そこにあった塵芥の塊に火を付けようと言い出したのである。惣左衛門も面白半分に、やろう、やろうと煽った。関川が火を付けると塵芥から小さな炎がチロチロと見え煙を出し始めた。少なからず興奮を覚え二人が顔を見合わせた丁度その時、通りから路地裏の様子を知った見知らぬ男が、馬鹿野郎、と怒鳴りながら、すごい形相で走り寄ってきたのである。惣左衛門たちは一目散で逃げた。逃げる際、幾人かとぶつかり自身が転んだり相手を転ばしたりしたが、恐ろしさで無我夢中で逃げた。それから、二人は二度と一緒に遊ぶことはなかった。だが、ほどなくして稲穂町の大火が起き、火元と思われる辺りから、逃げ遅れた少年の焼死体が出てきた。関川であった。関川の家とは遠く離れていて無縁の地である。惣左衛門はこれを知った時、関川がまた興奮を忘れられず火を付けたのではないかと思った。一歩間違えれば、自分が当事者になるところであった。あの時関川と、もう絶対に止めよう、と誓い合っていれば、関川は死ぬことはなかったであろう、という思いがある。そのことは大人になっても、悪夢として蘇ることがあったのである。これが、幼い時から惣左衛門にとって、記憶の中に鋭い刺のように突き刺さっていた。
すべてを聴き終わるとボヤ騒ぎの不審火について口を開いた。
「梅奴の所に乗り込んできた磐乃と思われる女が去ったあと、その家で気味の悪いことが続いたということだが、磐乃の怨霊が取り憑いていたのではないだろうか。憎い波次郎が愛人と居た家だ、坊主憎けりゃ袈裟までもで、最後の仕上げに家自体を燃やそうとしたとも考えられる」 惣左衛門は酒が入ったせいか深刻な話ながら、口が滑らかになっていた。いかに困難な状況下であっても、これまで会社を切り盛りして幾度も荒海を乗り切ってきた自負が垣間見えた。
「長期間に渡ってですか。そうなると、二箇所に同時に取り憑いたことになりますね。あっ、これは失礼しました」 鴻池はこの屋敷も含めた言い方に慌てて詫びた。
「いや、いいよ。茶化して言うわけではないが、芝居の四谷怪談のお岩の亡霊は憎い伊右衛門の前に何処にでも現れただろう。貞女といわれていても、女の怨念は恐ろしいからね」 惣左衛門はそう言いながら、るいをこの家に引き入れたら、菊江はどう出るだろうかという考えが頭を過ぎった。菊江は世間的には貞淑な妻と見られている。自分もそう思う。だが、るいを囲って既に五年だ。感づかれないよう注意を払ってきたつもりだが、女の勘で薄々気がついているかもしれない。磐乃のことを考え合わせると、どうなるか分からないと思った。


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