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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第30回   30
 やはり、まだその正体は分からぬが、鬼女は梅奴の所に来ていたのである。
 「お梅ちゃんの体調はだんだん悪くなってきてね。ある時、あんまり顔色が悪いから、どうしたのと訊いたら、毎晩のようにひどい夢を見るようになってね、と言っていたよ。おまけにあんなに足繁く通ってきた二枚目も、夜、こっそりという様に時々になるし。とうとう、姿を見せなくなったのさ。そうこうするうちに、坊やがひどい高熱を出して、可哀想にあっけなくあの世に行っちまったよ。お梅ちゃんの嘆き悲しむ姿は見ていられなかったものさ」というと、お民婆さんはその時のことを思い出してか、鼻紙で鼻を、ちぃーん、とかんだ。
 鴻池は、坊やが高熱を発して死んだということに、惣左衛門の二人の息子の死と重なり合わさった。そうなると、やはり鬼女は磐乃の可能性が高いと考えるのが普通だが、まだ、賢く聡明な女性だったということに引っかかりがあった。
 「その後、梅奴さんはどうなりました?」 「どうもこうもないさ」
 「と、言いますと?」 「坊やは死ぬし、二枚目は来なくなるで、とうとうおかしくなっちまってね、病院に入っちまったのさ。その世話は、たまに来ていた芸者風の女の人がしたがね」 「どこの病院です?」との鴻池の問いに、お民婆さんは右手の人差し指で頭の上をくるくると回転させた。心が病み精神病院に入ったということである。世話をした女というのは当時姐御分だった網岡鈴江に違いない、と鴻池は確信した。鈴江はまだ生きていると言っていたが、これでは探し出して会っても当時の様子を聞き出すのは無理である。手懸かりが切れてしまった、と思った。
 鴻池が重たい気持ちでお民婆さんの家を辞するとき、何気なく、「絹さんに私が先程は失礼しましたと言っていたと、お伝えください」と言った。すると、お民婆さんは、あいよ、と言いながら、意味深長に笑うので、「どうしました?」と訊くと、「あの娘もこれでね」といいながら、右手の小指を上げた。鴻池が思わず苦笑いをすると、続けてお民婆さんは驚くべきことを言ったのである。
 「今時の娘は、あっけらかんとしてあけすけに色々と話すねえ。何でも二年前まで、港が一望できる大きな屋敷の女中をしていたそうだよ。絹さんは男好きそうな色っぽいところがあるから、おおかたそこの旦那にでも手を付けられたのじゃあないかね。もっとも、そこまでは言わないけれど、多分、そんなところだろうよ。」
 鴻池は、あっ、と思った。直ぐに高田不動産から新井巻衛門の顔が浮かんだのである。絹を一目見たとき、普通の主婦ではないなと感じていた。高田と巻衛門が繋がっていれば家を斡旋することは十分有りうることである。そのことに感を働かせば、絹に対しての対応も違っていたのである。何故直ぐに思い浮かばなかったのか、と臍を噛む思いがした。
 「お民さんはその旦那の顔を見たことがあるのですか?」
 「いつも、来るのは夜だからほとんど見たことはないがね、ただ一度だけ、玄関先の明かりで見たことがあるよ」
 「どんな人です。梅奴さんの相手のような、よほどの二枚目ですか」と、鴻池は内心の動揺をお民婆さんに悟られないように、冗談交じりのようにして訊いた。
 「とんでもない。恰幅のいい業腹そうな初老の男だったよ」
 鴻池は、その男が新井巻衛門であることを確信した。そして、絹という女が 屋敷で起こったという怖いことを知っているかもしれないと考えた。そうではなくとも、そのことを知る他の奉公人を聞き出さねばならない。だが、今も奉公している人から聞き出すのは難しいであろう。今はそこから離れて別な仕事をしている人が望ましい。それらのことを、素早く頭を回転させ巡らした。
鴻池はお民婆さんに、また伺うかもしれません、と言って外に出てみると、いつの間にか路地が雪で覆われていた。鴻池は雪が舞い降りてくる空を見上げると、一度、身をぶるぶると震わせ、コートの襟を立て帰路についた。


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