20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第20回   20
「もう遠い昔のことね。あの人に熱を上げた芸妓はたくさんいたけれど、不実な人で随分泣かされた人がいたそうよ」 「美男子だったのね」
「そう、水も滴るいい男だったわね。立ち振る舞いも役者みたいに綺麗で惚れ惚れするほどで、一度会った女は惹かれるでしょうね」 「わあ、私も会ってみたかった」
「でも、ひどい男よ。女の敵とはあのような人をいうのでしょうね」
「妻子はいなかったのですか」と、鴻池はとぼけて話に入っていった。
「居たわよ。美しい人らしいということだけれど、でも女は欲しいと思ったら、そんなこと構うものですか。当時は私の妹分の梅奴ちゃんと別の見番の夕菊さんが張り合っていて、最後は梅奴ちゃんが勝ったけれど。だけど女の他にも波次郎さんには悪い噂もあり、梅奴ちゃんに忠告したのにねえ…」 鈴江のおしまいの言葉は溜息混じりになった。鴻池は梅奴になにか不吉なことがあったのではないかと感じた。
「梅奴さんはいまどうしているのです」 鴻池は、焦りは禁物と知りながらも訊かずにはおられなかった。 「波次郎さんも行き方知れずになってしまったし、今は独りでいる、とだけいっておきます。これ以上の話はおしまい」と鈴江はぴしゃりと幕を下ろした。
帰り道、里枝がひとり含み笑いをしていたので、「どうしました?」と鴻池は察しがついてはいたが訊いてみた。 「うふふふ、置屋の女将の剣幕の理由が分かったわ」と言い、「梅奴さんと張り合っていたのは置屋の女将さんだったのよ。だって、お座敷に出ていた時の芸名は夕菊というのだもの」と、さも驚いただろう、と言うように言った。鴻池の思った通りのことだったが、「へえー、そうなのですか。そいつは知らなかった」と調子を合わせた。それにしても、羽倉波次郎という男は明治期の小樽花柳界で相当名を馳せた人物のようだ。偶然とはいえ、たまたま会いに行った元芸妓の二人共何らかの関わりがあったからだ。この分では思いの外調査が進みそうかも知れないと、鴻池は甘い考えを持ったが、当面の問題として梅奴が今どこに住んでいるか、が大事だった。会って話を聞きたかった。里枝に梅奴と面識があるか、と訊いてみたが知らないと言った。鴻池もあえてそれ以上は訊かなかった。この調査には、何か得体の知れないものを感じている。里枝をこれ以上巻き込みたくなかった。後は自分一人で調べようと考えたが、この不可解な事件に対応しきれるのかという不安がある。その時ある人物の顔を思い浮かべ、わずかな光明を見出した。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 18685