20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第18回   18
最初のページには、何かの祭りのようで揃いの法被姿で、綺麗どころの勢揃いの写真だった。里枝はこれが私よ、と前の方に坐っている若い時の自分を指で指し示したので、鴻池は仕方なく、今も当時とあまり変わっていませんね、と、お世辞をいってやらなければならなかった。小樽財界お歴々の宴会での写真があり、新井巻衛門も写っていた。だが、どれも大正期のものばかりだった。そのことは里枝の年齢から分かっていたことだ。明治期のことを知っている芸妓を紹介してもらわなければならない。そのことを言うと、見番(芸妓の置屋のようなもの)の女将と三味線の師匠をしている元芸妓を紹介してくれることになった。ただし、里枝の同伴が条件付きであるが。里枝は暇つぶしの格好の相手を得たと思っているようだ。
鴻池は里枝と一緒に出かける前の日に、客を装って東雲町と隣り合わせの堺町にある高田不動産の事務所を訪ねていた。惣左衛門から聞いた高田の怯え方は尋常ではなく、今どのような状態なのか探るためである。小ぢんまりとした事務所には息子の耀一と女事務員だけだった。正面の壁に創業明治二十五年という大きめの木製の看板が掛けられており、横に何枚かの御札が貼ってあった。鴻池は二、三の事務所向きの物件を聞いた後、「壁に創業明治二十五年と看板が掛けられておりますが、ずいぶん前からですね」と、さりげなく聞いてみた。 「はい、祖父のときからで、信用が第一ということで今まできております。私で三代目になります」 「ほう、するとお父上はもう?」 「いえ、まだ健在ですが、このところ体調が優れませんので」 「そうですか。でも、あなたのような息子さんがいらっしゃれば、事業は順風満帆で安心だ」 「いえいえ、私なんかまだまだ若造で、これからですよ。仕事も傍から見るほど楽ではありませんよ、つい二、三年前も…」 「えっ、二、三年前?」
「いえ、何でもありません。どこも何かかにか事情が有るということです」
「それはそうですね、私のところも同じです」
鴻池はその後わざと別な話題に変え、早々に高田不動産を辞した。鴻池は耀一の父親が、いまだにあれから体調を崩していること、つい口が滑って慌てて打ち消そうとしたが、二、三年前経営に支障をきたすような事態に落ちそうになったらしいことを、掴んだ。そうなると、経営難を打開するために、あの屋敷に恐ろしい秘密があることを承知で高田耀蔵は田宮惣左衛門に売りつけたことになる。さらには、新井巻衛門も同罪ということを意味していた。また、明治二十五年創業となれば、福右衛門が磐乃のために屋敷を建てる前ということになる。高田不動産は土地の仲介の時から、関わっていたのだろう。さらに事務所に貼ってあった御札は魔除けの類のものではないかと思った。惣左衛門から聞いていた黒猫のたまに対する怯えようは、尋常ではない。高田耀蔵も恐ろしい体験をしたのだろうか。
鴻池は惣左衛門から聞いていた高田耀蔵の人物像を、その息子に重ね合わせていた。息子の印象から、耀蔵は本来小心者で実直そのものだったであろうことは容易に想像できた。だが金銭的に困窮すると、人間はどう豹変するか分からない。今までも職業上多くの事例を見てきた。高田耀蔵も例外ではないだろう。しかし、自己の窮地を切り抜けた結果、惣左衛門の二人の幼い命が犠牲になったとしたら、良心の呵責に苛まされているであろうことも想像できる。本来真面目な性格であればあるほど、地獄に落とされているような心境かもしれない。他人事ながら、鴻池は胸の内がどんよりと暗く重たくなっていくのをどうすることもできなかった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 18677