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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第16回   16
だが禅源寺の老婦人同様、黒猫を見てはいなかったが、不思議なことを聞き知っていた。死んだはずの黒猫が、忽然と居なくなったということである。家の者の多くが、福右衛門の腕の中で死んだ黒猫を見ていた。それなのに、いつ居なくなったかは誰も分からないということだ。福右衛門はいよいよ何かがあったに違いないと、家の者何人かを引き連れて、小樽に向かった。小樽でのことは、福右衛門が虚しく帰ってきたことしか仲居は知らない。それからの羽倉家は不幸続きだった。二年後の秋、福太郎が率いた樺太さけます漁場での帰路、礼文島沖で大時化にあい息子の福一郎と漁夫二十余名共々遭難死したのである。助かったのは僅かに漁夫三名だけという大惨事だった。羽倉家はいっきに大黒柱を失った。同時に息子と孫を失った福右衛門の悲嘆は激しかったが、それ以上に死んだ漁夫の補償などで屋台骨はいっきに傾いた。事後処理を終えるまで、福右衛門は気丈に振舞ってきたが、その後寝込むことが多くなった。福太郎にはもう一人福二郎という息子がいたが、その時まだ十歳である。その成長を待って、家の再起を懸けるということを考えていたが、一年後とんでもないことが起こった。羽倉家の資産管理は婿養子の波次郎に任せていたが、多大な金額の使い込み、さらにはそれを穴埋めして糊塗するために株に手を出し、莫大な損失を被っていたのである。小樽の屋敷はとうに抵当に入っていた。ある日、波次郎が夜逃げしたために大勢の債権者が古平に押し寄せ、発覚したのであった。福右衛門の実印もいつの間にか勝手に使われていて、その為財産のほとんどを失い羽倉家は没落した。
磐乃が失踪した時、波次郎との間に子供は生さなかったが、安否はまだ分からず波次郎も自分にも心当たりがないとの一点張りで、今後私一人でも愛する妻を探し続けます、と言うことでそのまま養子の身分を保っていた。だが波次郎の不祥事が発覚した後、花柳界での幾人もの女たちとの遊びや博打などの放蕩三昧であったことが分かったということだ。もつとも女や博打のことに関しては、あくまでも光子という仲居の噂話の範疇であるから、どこまでが事実かは分からない。ただ、相当の食わせ物だったということは、確かである。
それにしてもと、鴻池は思う。磐乃が失踪したのは、三十年ほど前の話だ。猫の寿命は一般的に長くて十五才前後といわれている。いま惣左衛門の屋敷にいる黒猫は二、三才であろうから、同じ猫ということは医学的にありえない。しかし古平で、死んだはずの黒猫が誰にも知られず雲をかき消すように居なくなったという事実はどう説明できようか。三十年間に渡って多くの人たちが、同じたまという黒猫としか考えられないような猫を見聞きしている。やはり人知を超えた作用が働いていると考えるしかないのだろうか。鴻池は中秋の早朝の寒さも忘れて、考え続けていた。


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