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作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第15回   15
仲居は自分の仕事を終えたあと、鴻池があらかじめ注文しておいた幾本かの銚子と肴が入ったお盆を持って、いそいそと部屋にやって来た。仲居も聞こえてきた泊り客とのやりとりからいける口であることは分かっていたからである。割烹着を脱いだだけの着物姿は同じだったが、化粧は厚めに直していた。媚をただよわせた目付きに鴻池は内心ぞっとしたが、お首にも出さず、「さ、さ、お姐さんも」といって、酒のやり取りを交わし、仲居の気分を滑らかにしたあと、おもむろに懐から金を出した。
「今夜の話の次第によっては、文壇に打って出ようかという気がしていますから、私自身にとって大切なことです。お姐さんもご存知のことはすべてお話ください」と、芝居がかった言いかたをして、仲居にそれを渡した。
途端に、「ひやー、こんなに」と年増の仲居も大仰な声を出し、目を丸くした。仲居にとって数日分の給金に相当する金額だったのである。
翌日の早朝、鴻池は余市までの乗合馬車に揺られながら、旅館に頼んで作ってもらった握り飯をほおばりつつ、磐乃という女とたまという黒猫のことを考えていた。
鴻池は職業柄聞き上手である。昨夜のうちに光子という年増の仲居から絶妙な間の相槌や巧みな話術の誘導で、磐乃のことや羽倉家の没落のあらましを聞き出していた。
磐乃は小樽の高等女学校を出た後も小樽に留まると言いだした。その為、一人娘を溺愛していた福右衛門は娘のために豪壮な別荘を建てた。仲居の言うところでは、おおかた好きな男が出来た為だろう、と言わんばかりである。実際、屋敷の完成を待っていたように婿養子を取ったのである。福右衛門には福太郎という跡取り息子がいるにもかかわらず、婿養子になるならば、という結婚の条件を付けた。それほどに磐乃を手放したくなかったらしい。が、相手はあっさりと承諾をしたということである。入婿は旧姓を中岡波次郎と言い、今の北海道帝国大学の前身、札幌農学校出で某有名銀行に勤めていた。初めて挨拶のため古平を訪れたとき、その美男子ぶりに女たちが騒いだことは、今でも語り草になっているという。磐乃の兄の後継である福太郎も美男子ではあるが、洗練された身のこなしから、波次郎には敵わない、というのが女たちの一致した評判であった。年増の仲居も一度だけ地元で盛大に執り行われた二人の結婚式での写真を誰からか見せてもらったと言い、磐乃の花嫁姿はたいへん美しく、同じ女でも憧れてしまうと言い、波次郎はいま評判の人気若手俳優の某に似ていると言った。 「あのような二枚目に一度抱かれてみたかった」と言いながら、仲居が鴻池に流し目を送ってきたのには、たじたじとなったが。


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