20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第10回   10
 U
鴻池の興信所は花園町という数多くの料亭が軒を並べる歓楽街の、片隅の古い雑居ビルの一室にある。若い頃から血沸き肉踊る探偵小説や冒険小説を読み耽り、地元の小樽高等商業学校(現、小樽商科大学)を卒業した後、いつも何らかの事件に関わっていたいと道内大手の新聞社に五年ほど勤めた。だが、組織に馴染むことができず、単独で活躍する探偵に憧れてこの世界に入ったが、現実の仕事の大半は、結婚相手の身辺調査や浮気の調査などである。大金が手に入るわけでもなく、家賃も滞りがちな生活をしているというのが現状だった。そのこともあるのか、未だに独身であった。ただ、当人は欲というものを他人に感じさせない性格の様で、その為人に好かれ助けられということの繰り返しの、なんとなく社会の片隅を漂い生きている、というところであった。今度の依頼は、久しぶりの本格的な探偵の手腕が試されるような仕事である。大いに張り切って本領発揮といきたいところであるが、今までのことを箇条書きにして書きとめて眺めていると、何やら言い知れぬ胸騒ぎを覚えてくるのだった。
「どうもこれは、猟奇小説や怪奇小説の世界のようだな…」と、つい呟いたほどだ。
「なんの世界だって?」と、半開きのドア越しに年増の女が顔だけ出して言った。
「ああ、これは大家さん」
大家は三島里枝という、鴻池より二つ、三つ年上の婦人である。以前、芸者をしていたのを、十数年前に小金を溜め込んでいるという噂の男に気風の良いところを気に入られ後妻に入ったが、それも五年前に未亡人となり暇を持て余している、粋で小奇麗な有閑マダムといったところだ。
「溜まっている店賃の催促にきましたよ」と、言いながら部屋に入ってきたが、それは口実でお気に入りの鴻池に世間話の相手をさせようという魂胆である。鴻池の話しぶりは女に警戒心というものを抱かせない、耳に心地よいものなのだ。
「あ、すいません。丁度、これから届けようとしていたところです」と鴻池は恐縮の体を繕って、二ヶ月分の家賃を手渡した。
「おや、まあ、景気がいいこと。どうしたのさ」といいながら里枝は受け取ったが、口実を失って少々気が抜けたといったところだ。
じつは前日、惣左衛門から調査費として多額の前金を受け取っていたのである。
「ま、お茶でも」と、これは鴻池の良いところで里枝のためにお茶を入れた。職業上、調査のための人に対する処世術を身につけていた。
「おや、いいのかい」 里枝も口実を与えられて、定まっていなかった腰を椅子に落ち着かせる。二人はいつもこのようなやり取りを繰り返していた。鴻池も無駄話の中に思わぬ収穫があることもあり、これはこれで大切な仕事のひとつだと考えていた。こういうことが調査に役に立つ。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 18674