20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:深窓の令描 作者:じゅんしろう

第1回   1
  歳の頃三十代半ばという女が白足袋のまま走り去って行く異様な姿を見て、誰もが鬼女だと思った。振り乱した黒髪は逆立っているように見え、はだけた袷の着物から露わに覗く胸元や乱れた裾から見え隠れする腿やふくらはぎは、黄昏どきにもかかわらずくっきりと白い肌が際立って見えた。素顔はうりざね顔の美しい女であろうと思われたが、猛り狂っているのか顔面の血管が浮き出ていて、両目が釣り上がり血眼になっていた。明らかに気が狂れていた。ときおり歯を剥きだして、何か憤怒の言葉を呻くように発しながら、枯葉を巻き上げ駆け抜けて行く。遭遇した誰もが戦慄して呆然と見ていただけで、狂女のその言葉をはっきりと聞き取った者はいなかった。後に幾人かは、おのれ、という言葉を聞いたと言った。狂女を知った者はいなかったが、わずかに土地の古老が、誰それではないか、と言った。だが結局、はっきりとはせず分からずじまいだった。その後、狂女の行方はようとして不明で、身を投げて死んだのではないかと言う者もいたが、どうなったかは誰も分からない。後に誰言うとでもなく、狂女が駆け抜けていった辺りは鬼見通りと呼ばれるようになった。明治も末の或る北国の港町で起こった、秋の終わりの出来事である。


次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 18684