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作品名:神威岬 作者:じゅんしろう

第9回   9
  車に乗り込みエンジンを掛けた。身体は冷え切っていた。エンジンが暖まるまで運転席にうずくまる様にして、両手で身体をさすり続けたが、震えが止まらなかった。風は絶え間なく吹き続け、車も小さく揺れていた。私は死への甘い思いが吹き飛ばされた気がした。言い知れぬ恐怖を覚え、いい加減な自分を恥じた。涙が溢れ出て嗚咽した。
 ヒーターを入れた。暖かい温風に身体が包まれた。私は人心地がつくと、ひとつ大きく深呼吸をしてヒーターを切り、車を発進させた。
 だが、身体に異変が起きていた。涙が止まらなくなっていたのだ。顔に血が上ってくるような感覚があった。車を路肩に止め、涙が止まり、気持ちが静まるのを待った。少し経って落ち着いてきたので、また車をゆっくりと発進させた。
 しかし、治ったわけではなかった。運転していると、今度は血の気が失せ、頭の中が白っぽくなっていくようだった。また、身体が震えてきた。なにか、強い力が働いているようだった。バックミラーで顔を見てみると、顔が白っぽくなっていた。さらに運転を続けていたが、震えが強くなってきた。身体の奥底から、得体の知れない力が働いているようだった。さらに、頭がふわりとしてきた。身体が浮くような感覚を覚えた。私はこのまま死ぬのではないかと思った。このまま運転していると、車の中で昇天するのではないかと本気で思った。また、顔に血が上ってくるようだった。運転していられなくなって、車を海岸線の路肩に止めた。私はここで本当に死ぬと思った。私は誰かに助けを求めるため車を飛び出した。だが、行きかう車は無い。そのとき、私は何かがくると感じた。路肩のガードレールの手摺を両手でしっかりと握り、両足を広げて踏ん張った。
 それはきた。ジーンと強い痺れが、頭の頂点から胸に伝わり、腹、腰、脚へと降りていき、地面に吸い込まれていった。 
 すると、身体がもとに戻ったのを感じた。危機を脱したのだと思った。私はその姿勢のまま、肩でしばらく息をしていたが、助かった、と安堵した。
 その時だった。目の前の海が、私の目に、がんがんと音をたてているような感じで迫ってくるように見えた。はっきりと蓉子の意思を身体で受け止めることが出来た。
 「ありがとう、蓉子」と、海に向って叫んだ。私の心の中はまっさらだった。こんな気持ちになったのは初めてだった。いままで、無条件で本当の感動というものを覚えたことはなかった。いつも、なにかかしら一枚のベールに包まれていて、今回初めて身体から剥がれた思いがした。あらためて海を見た。そのとき気がついたのだが、随分と晴れ間がのぞいており、空や雲が紅く染まっていて美しかった。じつと見つめていると、水平線の彼方から、ピカッと光るものがあった。見続けていると、また、ピカッと光り、真っ直ぐに心の中に入ってきた。それは蓉子の私へのメッセージのように思えた。私は海に向って蓉子にたいして一礼した。また、目頭が熱くなり、涙が溢れ出た。


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