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作品名:神威岬 作者:じゅんしろう

第7回   7
 ふいに後ろから、「あっ、子ギツネだ。かわいいー」と若い女の声がした。振り返ると、若い男女の二人連れの女の方が海と反対側の草むらを指差していた。その指先が示すところに、一匹の茶色の子ギツネが我々を見ていた。すると、母ギツネが草むらから現われ、子ギツネと並んで我々の方をじっと見た。
 「ねぇ、ねぇ、なにかお菓子かなんか残っていなかったっけ?」と、女が男に言った。
 「駄目だよ、人間がむやみに餌を与えるのは。自然にまかせなければ」と男は女をたしなめた。 「でも…、触りたい」と女は言いキツネの親子に近寄ろうとするのを、「やめとけ。北キツネに触ると、エキノコッカス症にかかるかもしらんぞ」と言って抱きかかえるようにして止めた。
 「うーん、ケンちゃんたらー」と言いながら女は男を少し睨むような仕草をみせて、男の太い腕に腕をからませて、北ギツネの親子をじっと見つめた。北ギツネの親子も餌をもらえるのを期待しているのか、若い二人連れをじっと見ていた。
 私はその場を離れ、展望台へと上っていった。上りきると、海が一面に広がり、長い水平線だった。私はおもわず、ほうー、と声をあげた。風は真正面から吹いてくる。捲り上げていた長袖のシャツを元にもどした。その場所からは岬の先端へと続く段差のある遊歩道があった。風も強く、少し距離もありそうだったので、行くかどうか迷った。私はなんとなく駐車場のあたりを見下ろした。すでに北ギツネの親子の姿はなく、さきほどの若い二人連れの車が、駐車場を出て行くところだった。後には私の車一台だけが、広い駐車場にあるだけだった。岬には私一人だけになったのを知った。
 寒々とした気持ちになって、帰ろうかと思ったとき、不思議なことが起きた。風が弱まり、穏やかになったのだ。何かに導かれたような気持ちになって、身体が自然と前に出た。
 遊歩道は切り立った崖の上に続いており、下ったり上ったりの結構きつい道だった。道の途中に小さな看板が手摺りに結わえられていた。見ると、もう一度考え直してみよう、と書かれてあった。自殺の名所らしい。
 下を覗いてみると、切り立った断崖のあちこちに黄色いエゾカンゾウの花が群れるようにして斜面を染めていた。花の美しさとはうらはらに、落ちたら、波に絶え間なく洗われている岩石に叩きつけられて確実に死ぬだろう、と思った。ふいに軽い目眩を覚えたので、慌てて頭を上げた。おもわず周りを見渡したが、いま、この遊歩道は私一人きりである。どきり、とした。


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