V 妻の死から怠惰な生活を送り、すっかり出不精になっていた私だったが、神威岬の写真を見てから妙に気になり、頭から離れなくなった。 以前の私なら次の日には神威岬に車を走らせていただろう。だが、なんとなく踏ん切りがつかないでいた。そのかわり、雑草が伸びて荒れた庭の芝を刈り、片付けたりした。 庭には長い間の風雪にかなり傷んでいる犬小屋がある。二十六、七年ほど前に、青葉が幼稚園に入った時、生まれて間もない子犬をどこからか拾ってきて、そのまま飼ったのである。私も妻も動物は嫌いではなかったので、娘の情操教育の為にも良いと考えた。私は日曜大工で犬小屋を作った。青葉も進んで手伝ってくれた。 濃い目の茶色の毛で雑種犬の牡だったので、青葉が生まれたとき、男の子だったらと考えていた、ケンタローと名付けた。 あまりほえることのない、利口な犬だった。青葉はよく世話をし、かかさず散歩に連れていった。青葉の成長とともに常に犬がそばにいるという風だった。 十六、七年くらい生きただろうか、青葉が大学を卒業する少し前に老衰で青葉に抱かれながら死んだ。青葉はその後直ぐに就職先の東京に行った。青葉とケンタローが同時期にいなくなり、がらんとした殺風景な庭になった。それ以来犬は飼うことはなかった。 犬小屋の、青葉が塗るのを手伝ってくれた黄色いペンキもほとんど剥げ落ちていた。わずかに出入り口の当りに薄汚れて残っているだけである。 ふと、今一度犬を飼ってみようと思ったが、直ぐに頭を振り自分でその考えを打ち消した。その気力が残っているとは思われなかったからである。 それから三、四日がたったころだった。青葉から電話がきた。一度、東京に遊びに来ないか、という誘いの話だった。遠くから見ていて心配だという。今後のことを話し合いたいということだった。しかし、私は即座に断った。妻と暮らした思い出が詰まった家から離れ難かったからである。電話を切った後、娘に心配をかけてはお仕舞いだな、と思った途端、これから神威岬に行ってみようと思った。なにかここで決着をつけなければという気になった。まだ時刻は昼を少し過ぎたばかりであり、空は薄曇だったが、雨の心配はなさそうだった。
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